世代問題の雑感
- 世代論争
新聞に世代論争記事が出ない日は無い。
大体が団塊の世代の議論と、定番の近頃の若いモン議論。
近頃の若いモン議論は紀元前からあると言うので、ま、置いといて。
ある特定の世代層を一括りにして人物像を分類するのは有り?
血液型と似てるかも。
結構、人は人物像の分類が好きな動物だったりする。
住む場所も家庭も違うし、どう考えたって皆が同じ訳が無いんだけど。
ま、話のネタとしてはおもろいから、いっか。
皆、同じ世代は同じ時代を生きた。
受入れるかどうかは別として、同じ価値観に触れたと言うのは事実だろう。
地域性もあるし、前後2〜3年のズレもあるだろう。
と考えれば傾向としては世代分類は当らずとも遠からずと言う気もする。
その中で何故、団塊世代だけが良く話題になるのか?
やはり揺ぎ無い個性があるからに他ならないと思う。
- 特定の世代
現代の企業には2つの特定の世代層が同居していると言われる。
言わずと知れた団塊と団塊ジュニアである。
企業にとってある面ではこれ以上の苦境は無いとも言われる。
どの企業もこの層の狭間を生きる世代の苦労は並大抵では無いらしい。
企業はこの苦境を乗り切れれば、何とか逞しく生きて行けるだろう。
では社会はどうか?
社会はこの世代に何とか退職金を払って出て行ってもらうと言う訳にはいかない。
むしろ大量放出される受け皿にならなきゃならない。
社会は今でも満身創痍。
特異細胞にあちこちを蝕まれ、酷い痛みにもがき苦しんでいる。
困った事に蝕んでいる特異細胞は痛みを感じないそうだ。
喰い尽すまで留まるところを知らない。
恐るべし。
- 間尺に合わない世代
狭間世代の筆頭は「泳げタイヤキくん世代」だと言われる。
ポスト団塊だ。
間尺に合わない世代だ。
物質的には恵まれないが、精神的には鍛えられてる。
実質的に現在の日本全体を支えている世代とも言われる。
程なく、多少とも本来の日本人気質を知っている戦前派は居なくなる。
狭間世代の心の支えになってくれた世代が居なくなる。
これは結構痛手だと思う。
多分、重しが取れた団塊世代は収拾が付かなくなる。
加えて金銭感覚ゼロの固まったアスファルト状態のジュニア世代がぶら下がる。
2層の不良債権を抱えて頑張るの?
恐るべし。
- 寺島実郎氏
新聞でおもろい記事を見つけた。
寺島氏のインタビュー記事。
物産の研究所所長だ。
56歳。ど団塊である。
氏曰く、団塊の世代は、
-
- 終戦直後の過去の価値観否定時期に育った。明日は今日より幸せと妄信出来る。
- 米国の影響も加わり、新しく出来た価値観は私生活主義(ミーイズム)。
- 他人には厳しく、自分には甘く、権利の主張だけは欠かさない。
- 学生運動していた者が手の平を返して仕事人間に転向した。
- 世界史上、特異な高度成長時代を生きた。大量青田刈りで就職難など知らない。
- 仕事一筋を装い、社会貢献には一切無関心を通した。
- 同様に仕事一筋を装い、子供の躾を一切放棄した。
- 終身雇用・年功序列の最後の受容者。通勤する事が仕事である。
- バブル期には中間管理職として最大の受益者となった。カネの苦労は知らない。
- 持ち家も確保し、年金も保証されている。食い逃げ世代と言われる。
- 多くの企業で定年を前にしてポストも無いのにひしめいている。
流石に研究所の所長さんと言うべきか。実に的確という他無い。
まだまだ幾らでも並べられそうな気もするが、ま、いっか。
氏の言わんとする事は、
と言う事で結んでいた。
ん〜〜〜ん。
ま、確かにそうなんだけど・・・。
俄かに賛同しかねるなあ・・・。
それが出来るくらいなら、団塊じゃ無いんじゃ無いかな・・・。
何より、そう言う感覚が無い人が環境、福祉、教育などに手出しするのは危ない。
満足な挨拶が出来ない人に教育が出来る?
やっぱり、団塊の意見だなあ、と感じてしまったのは小市民だけだろうか?