世代問題の雑感Ⅶ

  • 「新人類」

昨日の雑誌記事が妙にアタマに残ってしまった。
何だか引き摺ってしまう。
団塊の世代」から見れば、自分も「新人類」の括りに入っていたのか・・・。
えりゃあびっくりした。
そもそも10年毎に括る事自体が無理があるんだけど・・・。
でもどっかには括らないとこう言う話は面白く無い。
そうすると「ポスト団塊」=「新人類」って事になるのか・・・。
んで次の10年がかの有名な「団塊ジュニア
その次の10年が「ジェネレーションY」って事になるのかな・・・?
何と無く自分の世代は棚に上げてあったなあ。
小市民的には他の世代をネタにする方が面白い。
あの作家の戦略にまんまと乗っちゃってる気もするけど・・・。
考えてみると自分の世代を分析した事なんか無かったなあ・・・。

  • 特徴

記事にあった「新人類」の特徴はこうだ。

    1. 上の世代から理解し難い考え方、感性、言動で、正にネーミングの由来となった。
    2. 「もはや戦後ではない」時代に生まれ、高度経済成長の助走段階に育って貧しさを知らない。
    3. 民主主義が当然の世の中となり、個人主義で群れない。
    4. 個性的である事に拘り、世の中の事をあまり気にしない。
    5. 物事を決める価値観の基準が自分の内にある。
    6. 世の中に不正義が存在するのは仕方無いと思うが、自分に干渉してくると反発する。

これは「団塊の世代」から見た特徴らしい。
つまり「団塊の世代」のほぼ裏返しと言う事の様だ。
ある意味ではすっごく当っているかも・・・。
「群れない世代」と言われる事には全く抵抗が無い。
でもやっぱし端境期ってあるんだよなあ・・・。
全部が当てはまるとも思えない。
子どもの頃、ウチなんか貧しかったと思う。
周りには戦後の混乱が色濃く残っていた様な気がする。
確かに自分に直接火の粉が降りかかるのはイヤだ。
が、世の中に不正義が存在するのも許し難い。
ただ、あまりにひどい世の中になってしまったので専守防衛に徹しているのは事実。
まともに世の中の不正義について考えていたら気が狂っちゃう。

また出ました!
良く出て来るよなあ・・・。
何だか世代問題の専門家みたいに扱われる。
団塊の世代」の名付け親と言う事で・・・。
このおじさんに語らせると「ポスト団塊」はこうなる。

    1. 団塊の世代」の生き様を見て、あまり面白そうでは無いと感じた。
    2. 従順、勤勉、協調を美徳とした「先輩世代」の挫折を目の当たりにして世俗にシラけた。
    3. ハスに構えて熱中しない為、社会全体から見ると存在感が薄い。
    4. 夢も心配も乏しく、シニカルでなるようにしかならないと思っている。
    5. このままだと世代交代が出来ず、「団塊世代」の退場延期と「団塊ジュニア」への世代飛ばしが起きる。
    6. 冷めてばかりではいかん。志と社会への憤りを持てばチャンスが生まれるだろう。

う〜〜ん・・・。
ま、いっか。
いろんな価値観があるからこそ世の中が面白いんだけど・・・。
何故、後進がシラけてしまう様になったのか?
きっと言い分があるよなあ〜。
はっきりしてるのは「先輩世代」の作った社会はあまり自慢出来ない事。
そろそろ30年先、50年先を見越した躾け・教育の事を考えないとヤバイ・・・。
誰が考えるのか知らないけど・・・。
「先輩世代」は経済最優先でバブルの恩恵を享受して蓄財のみに走ったと言われる。
皆が家を持ち、老後にも憂いの無い「喰い逃げ世代」とも言われている。
反面、「後輩世代」はバブル崩壊の直撃でローン地獄から抜け出せない。
社会保障は破綻寸前で老後の事なんか考えると自殺したくなってしまう。
「先輩世代」は家庭を顧みずに社畜として勤勉に働いたと言われる。
その結果当然の様に家庭を顧みず、子どもの躾け・教育を放棄した。
会社ではその躾けもロクに出来ていない若手の指導で四苦八苦するのが「後輩世代」だ。
「先輩世代」は「道徳心」とか「公共性」とかに乏しいと言われる。
更にその子息の世代にはほとんど死語になった。
結果、日本は世界に稀に見る浅薄な物欲のみの社会になった。
更に治安は悪化の一途で腐れ外道がウヨウヨする様になった。
もう少し「後輩世代」に胸を張って引き継げる社会にしといて欲しかったな・・・。
って言うんじゃな〜い?
堺屋太一はご自身を「団塊の世代」と違う世代と位置づけてる様だ。
ネタ拾いが上手くて戦後の復興・高度成長の流れに乗って一発当てちゃった。
世代問題が語られれば語られるほどこの方が儲かる仕組みになってる。
「志と憤りを持て」も良いけど・・・。
「先輩世代」ってえのは「団塊の世代」だけじゃ無い。
あんたも「先輩世代」に入ってるんですからあ〜〜!残念!