最後に・浜松町界隈のこと
- 逸話
出し物はまだある。
そしてこれがここんちのメインエベンター。
この逸話ってえのがすぎゃあ。
- 三代将軍「家光」公が菩提寺【増上寺】参拝の帰りに【愛宕神社】の下を通った。
- 【愛宕山】には源平の梅が咲き誇っていた。
- 「家光」公は、その梅を見っけて、「ひゃあ、誰か馬であの梅を取って来いや!」っと言った。
- 【愛宕山】の石段は急勾配。ヘタすりゃ命が危にゃあ。家臣は一斉に下を向いた。
- 「家光」公はみるみる不機嫌になって、怒りバクハツ寸前!
- って時に、この石段をパカランッ、パカランッと駆け登りはじめた者がいた。
- 「家光」公もその者を知らにゃあで「ひゃあ、誰だ?あやあ?」と訊いた。
- 聞くと、「四国丸亀藩」の家臣で「曲垣平九郎(まがき・へいくろう)」と言うそうな。
- 「ひゃあ、この泰平の世に馬術の稽古に怠りにゃあ。あっぱれじゃにゃあか!」
- 「平九郎」は見事馬で石段を登り降りして梅を献上、「家光」公より「日本一の馬術の名人」と讃えられた。
- 出世
この故事は有名。
んで、これを「出世の石段」と呼ぶ。
毎日いっぴゃあお参りに来るそうな。
「出世の石段」を登って・・・。
「ひゃあ、今でも出世欲に駆られた衆ってそんなにいるんだ・・・」
でも、感動した。
何より一番感動したのは「平九郎」の出身地。
「四国丸亀藩」の出身。
あの「讃岐うどん」の「丸亀」。
あっこからこんな逸材が出てたとは・・・。
「ひゃあ、ますます『讃岐うどん』が好きになったで・・・」
そーゆーこと?
石段を上から覘く。
すんぎゃあ怖ええ。
石段の真ん中を歩く気がしにゃあ。
っとみんな言ってる。
でも、あんまし怖くにゃあなー。
「ひゃあ、お迎えが近きゃあと怖ぇえモンも無くなるもんだで・・・」