どっこいしょで・神楽坂・文京界隈のこと

  • 起源

 早速調べた。
いつものNET検索。
う〜〜む・・・。
ってな内容だった。
創建は天和元年(1681年)。
五代将軍「綱吉」公の時。
その生母「桂昌院」の発願だったそうな。
あの江戸のシンデレラ!

「母上の言う事ぁ、聞き入れざるを得にゃあってこんか・・・」

 経緯はシンプル。
何年か前に親子で上野国「館林城」に行った。
あの群馬県の館林。
こけえらに【大聖護国寺(だいしょうごこくじ)】ってのがあった。
【碓氷八幡宮】の別当寺だったそうな。
別当寺・・・?

「ひゃあ、何だか訳きゃあわかんにゃあで・・・」

 更に調べた。

”「別当寺」(べっとうじ)とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と言った。神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義。”

んなあ〜るほど・・・。
1つ、利口になったで。

  • ご執心

 【大聖護国寺】の僧正は「亮賢」。
母上は「亮賢」僧正を慕ってた。
厚く帰依されてたそうな。
母上が「綱吉」公を産むと占ったとか・・・。

「う〜〜ん。ちぃっと後づけっぽい・・・」

でも、いろいろ言われたべなー。
何せ、元三代将軍「家光」公の側室。
江戸時代のシンデレラストーリー。
 嫉みも多かったべ。

「ひゃあ、メカケ『お玉』が将軍の母上さまだで・・・」

それも人生っ!
「玉の輿」だってありっ!
母上は息子にオネダリ・・・。

「ひゃあ、歳しょーくうと遠出するんがえりゃあだに、僧正を呼んでくいよぉー」

シンプルだで・・・。
 息子は素直だった。

「母上がそう仰るのであれば・・・」

いごきは早あ。
早速、「亮賢」僧正を招き開山。
幕府所属の高田薬園の地に堂宇を建立。
2年後には完成。
本尊は「天然琥珀如意輪観世音菩薩像」。
母上の念持仏だそうな。