続・【皇居東御苑】のこと

  • 「明暦の大火」

 1657年。
いきゃあ火事だった。
江戸の6割を焼き尽くしたそうな。
死者は10万人以上。
4代将軍「家綱」公は慰霊堂をこさえた。
本所【回向院】。

「ひゃあ、ついこにゃあだ行って来たとこじゃんか」

 さすがの「江戸城」も被災
「西の丸」以外全焼。
そん時に「大手門」も焼失した。
「渡櫓」と「シャチ」も燃えちった・・・。
今の「渡櫓」は戦後に復元されたそうな。

「っだよなー。立派過ぎるし・・・」

 「明暦の大火」。
別名「振袖家事」。
「フリソデ」・・・?
てゃあへんなこんだったらしい。
幕府は火元を作った。

”その振袖を手に入れた女性が3人続けて怪死。
振袖は【本妙寺】で供養する事になり、火の中に投じたところつむじ風が舞い起こり本堂に飛び火。
本妙寺】が火元ってえこんになった”

世の混乱を避ける為の方便だったらしい。

 江戸は壊滅的被災
江戸城」も大半が焼けた。
「家綱」公の命により【回向院】が出来た。
幕府災害対策本部が出来た。
火災後、復興プロジェクトが立ち上がった。

「ひゃあ、ここで『中島みゆき』が・・・」

 幕府首脳が集まった。
えりゃあ衆がたんといた。
保科正之」っつーのもいた。
3代将軍「家光」公の異母弟だった。
会津松平家藩主。
聖人と言われてたそうな。
 議論百出だったらしい。

「ひゃあ、どうやって江戸の町を復興させるべーか?」
「まずは『天守閣』を再興すべきだーじゃっ!」
「んにゃっ!んなモン後回しでいいっ!まずは江戸の町だでっ!」

保科正之」論が通った。
町は次々と復元。
でも「天守」は遂に復元されなかったそうな。