シュスタニ遺跡観光のこと【1/17】
- 【シュスタニ遺跡(Sillustani)】
本日の目的地到着。
墓である。
3,900mを超える高地に造られた墓。
しかも駐車場から、更に山道を登る。
そこそこ歩くんである。
時々、止まって深呼吸したくなる・・・。
「はあ〜っ!何だか、息苦しいなあ〜っ」
異様な光景である。
【チュルパ(Chulpa)】と呼ばれる石塔が並ぶ。
高台にボコボコと建ってる。
元は100基以上あったらしい。
今は減った。
原形をとどめてる【チュルパ】は少にゃあ。
貴重な生き残りらしい。
「墓なのに、生き残りってのがいいねえ・・・」
この地域は雨が多いそうな。
しかも雷も多い。
【チュルパ】には、副葬品が沢山入ってた。
金・銀・財宝のたぐい・・・。
これが雷の餌食になっちゃったそうな。
多くの【チュルパ】が落雷で壊れちゃったらしい。
「この透き通るような天気からは、想像出来にゃあよなあ・・・」
- 破片
「ゆかりさん」の通訳。
「落雷で壊されたのと、盗掘も多かったようですね。彼らの目的は金目のモノだけなので、遺骨や土器・陶器なんかは打ち捨てられました。
この道沿いにも、良〜く見ると陶器や人骨の破片がい〜っぱい落ちてます」
確かに、山道はアカっぽい。
レンガ色の陶器の細かい破片がいっぱい。
その中に白い破片も沢山ある。
明らかに人骨っぽい。
「すぎゃあな・・・。何だか踏んで歩ってんのも気が引けちゃうな・・・」
元々、高原地帯の埋葬法だった。
「プレ・インカ」から「インカ時代」に行われた。
「プレ・インカ」時代は【コリャ(Kolla)文化】ってえのがあった。
1,200〜1,400年頃だったらしい。
それにしても、4,000m近い山である。
「こりゃ、造るヒトの方が死んじまうべや・・・」
「インカ時代」に入っても、この埋葬法は続いた。
ただ、【チュルパ】の造り方は変化した。
元々は、丸石を積み上げてた。
ちょっとシャレたのもあった。
外側に白い粘土を塗ってあったっり・・・。
でも、やっぱ「インカ時代」のヤツは秀逸。
例の石組みで出来てる。
鋭角に切り出した巨石の緻密な組合わせ。
【まちぴち構造】
見事な曲線が描かれてる。
「異様な光景なんだけど、美しい・・・」