続・【三ノ輪〜池袋】界隈のこと
- 【尾花】
【投込寺】を後にする。
一路「南千住」方向に歩く。
いつも通り。
あえて狭みゃあ住宅街を歩く。
いろんな音や匂いがする。
ジモティの生活を感じるこんが出来る。
これが面白れえ。
でも、【浄閑寺】は強烈だった。
「ひゃあ、どーしても『吉原』のイメージが刷り込まれちまあよなー」
そー言えば・・・。
この辺りに有名な鰻屋があった。
確か、【尾花】って名前だった。
江戸のウナギを語るにゃ外せにゃあ。
っとモノの本に書いてあった。
住宅地にポツンとある。
わっかり難きい。
けんど、いつも行列が出来てる。
「そりゃ、1回行ってみにゃあと・・・」
って思うべーじゃっ!
NETで調べた。
ま、常連ばっかしらしい。
しかも、ここんとこ値段が急騰してるらしい。
面白れえ記事があった。
ある常連が店に入ゃーったそうな。
「ダンナさん、今日は特別なヤツが入ってるんですが、どーです?」
ツウとしちゃ、値段も訊かずに頼んだ。
焼き鳥とビールで待つ事1時間。
「うんっ!こりゃあ美味いっ!最高だ!んで、幾らだい?」
1万6千円だったとか・・・。
パスっ!
誰が行くかっ!
店、発見。
如何にもってな店構え。
時代モン韓ドラに出て来る要塞みてゃあな・・・。
不釣合いなシャッターが閉まってる。
脇の通用門だけは開いてた。
ちぃっと覗いてみた。
如何にもってな雰囲気の気高い暖簾。
庭にゃ、お稲荷さんがあった。
「本日の営業は終了しました」
の看板がで〜んっ!
午後の2時だで・・・。
誰が行くかっ!
- 【回向院】
ほどなく「南千住」駅ソバ。
ここに【小塚原回向院】があった。
【回向院】・・・?
あの「両国」の・・・?
そう。
あっこの別院なんだそうな。
【本所回向院】は1667年に出来た。
行倒れや刑死者の供養が目的だった。
当時は【常行堂】っつったそうな。
でも、だんだん手狭になった。
ってんで、分院を造った。
「吉田松陰」や、「ねずみ小僧」の墓がある。
ちょー有名どころだで・・・。
ここいら辺にゃ、「刑場」があった。
江戸のお仕置き場だった。
江戸時代にゃ、2ヶ所の処刑場があった。
1つが、「品川の鈴ヶ森」。
もう1つが、ここ「千住の小塚原」だった。
江戸時代の処刑者は20万人とか言われるそうな。
ずいぶん簡単に・・・。
んで、ここに【回向院】分院が出来た。
「どーせ造るんなら、『刑場』の近くの方が世話にゃあじゃってこんか・・・」