「アウシュビッツ」の雑感
- 目玉
今回のツアー最大の目玉。
あの「アウシュビッツ」を実際に眼にしてどう感じるか?
一種の自分への好奇心みたいなモンがあった。
アタマの中は整理されてるつもりではいた。
実際にその場所に立って確認するんだってな気持だった。
今日も相変らず抜けるような曇天だった。
朝の気温も11℃とか・・・。
アタマの中のイメージはえりゃあ透明な光が降り注ぐ光景だった。
いつの間にか勝手なイメージが膨らんでた。
収容所全体が何か光で包まれえるような・・・。
現実はどんよりと暗く寒い「アウシュビッツ」見学になった。
- 日本人ガイド
ここに1人だけ公式ライセンスを持った日本人ガイドがいた。
「中谷剛氏」というヒトだった。
この業界では有名人らしく、本も出版されてるそうだ。
そう言えば、ガイドブックを読んでいてチラッと見掛けたような・・・。
我々はどうもそー言うのに疎い夫婦である。
昨日、キョーコさんから案内があった。
「以前からメールをやり取りしてて、遂にガイドをお願い出来ました!」
この時はバスの社内に黄土色の歓声が上がった。
大変、ラッキーな事らしい。
おばはん達は大感激していた。
多くのヒトがキョーコさんを尊敬した瞬間だった。
ふ〜〜ん、そんなに有名なんだ・・・。
キョーコさんの提案でおばはん達は急作りの「お土産」を用意してた。
日本から持って来た喰いモノや本やモロモロ・・・。
それぞれ土産を手渡して、握手して、一緒に写真撮って・・・。
ほとんど「ヨン様」状態だった。
我々はとんとそー言うのに疎い夫婦である。
- 「体言止」
初めて見た「中谷氏」は無愛想だった。
ってゆ〜かあ、ここのガイドがニコニコしてる訳にゃいかんべ。
どういう事情でここでガイドしてるかは知らない。
でも、公式ライセンスを取れるだけの何かはあるはずだべ。
「中谷氏」は挨拶もそこそこで無表情にガイドを始めた。
ぶっきらぼうと言えば言えなくも無いムードである。
説明は端的に淡々と行われた。
感情や私見を一切排除した説明で「体言止」もよくある。
「体言止」した後、無言で次のコーナーに移動する。
もちろん無表情。
そこに何とも言えない余韻が残る。
テクニックなのかも知れない。
こういう場所に相応しいガイドの仕方を考え抜いた結果かも・・・。
チョー平和な日本人が少しでも考えるキッカケを与えたい。
こんな一心かも知れない・・・。
うがうがして見ると、我々の反応を観察されてたような・・・。
随所にキーワードがあった気がする。
「システムの恐ろしさ」「民主主義の弱点」「世論の脆弱さ」
「人間の出来る限界」「他人ごととしての見方」・・・。
全く違和感が無かったなあ・・・。
むしろ共感に近かったかも・・・。
いつも酔っ払って嫁さんにウダウダ言ってる話に似てるかも・・・。
- 「オシフィエンチム」
元々この場所のポーランド語の地名は「オシフィエンチム」
ナチスドイツが侵攻して地名をドイツ語に変えちゃったそうだ。
1940年に20棟の収容所からスタートした。
元々は「ポーランド人」政治犯や「ユダヤ人」「ロマ人(ジプシー)」の収容施設だった。
その後、「ユダヤ人」狩りが始まって28棟まで増設された。
1棟に千人、最大2万8千人が収容されたそうだ。
更に、ご近所「ビルケナウ」に300棟のバラックが出来た。
他にも収容所が増設されていたらしい。
諸説あるらしいけど、最終的にこの施設で170万人が殺された。
1日7千人を「処理」していたそうだ。
実際にガス室や花の飾られた焼却炉などを見た。
夥しい数のガスの空き缶を見た。
靴・メガネ・トランクなどの身の回り品の山を見た。
ドイツで出処を隠して織物として売られた大量の毛髪も見た。
国策として行われた大虐殺の証拠が並んでいる。
門には有名な「ARBAEIT MACHT FREI」の看板がかかってる。
「働けば自由になれる・・・」
これを取り付けたさせた輩のアタマの中をのぞいてみたい。
何が入ってんだべ?
この看板こそあまりにもひどい。
すべて我々と同じ姿カタチをした人間がやったことなんだけど・・・。
- マイアミ
もう、15年くらい昔の話。
夏休みでアメリカのフロリダに旅行に行った。
マイアミにも泊まったのでゴルフシューズ片手に街中を歩いた。
飛び込みでゴルフでもやっかってなモンだった。
その時、偶然「ユダヤ人」の慰霊碑に出会った。
物見遊山で中に入ってみた。
めっちゃ暑い日だった。
でも、中に入ったら全身に鳥肌が立った。
うろ覚えだけど、中が寒かったんじゃ無いと思う。
今まで見たことも無いような展示物にショックを受けた。
まさに「アウシュビッツ」そのものだった。
この時のショックは忘れられない。
その後、ゴルフをしたんだけど良く覚えていない。
何となくはしゃいだ気分にはなれなかった。
このお陰でスコアも寒かった。
「ユダヤ人」は世界中に逃げている。
そこで成功して大金持ちになったり政治家になったり・・・。
今やその気になれば何でも出来るっくらいの財力がある。
当時はマイアミの街中に何で?と思ったけど今ならうなづける。
- 「海辺のカフカ」
今回、持ってった本の1つ。
言わずと知れたチョー売れっ子「村上春樹」である。
文庫本が出たので嫁さんに買ってきてもらった。
ポーランドにたどり着くまでの道中が長かったので上巻は読んでしまった。
たまたま、この中に「ユダヤ人」虐殺の記述があった。
ナチスの将校「アドルフ・アイヒマン」の裁判の話だった。
「アイヒマン」は類い稀な有能な実務家だったそうな。
「ユダヤ人」狩りの指示を受けて忠実にそれを実行に移した。
彼は欧州全体の「ユダヤ人」を1,100万人と見積もった。
それを指定された期間内に如何に効率的にこなすか?
如何に効率的に捕獲して、如何に多く列車に乗せて収容所に送るか?
それだけが彼の使命だった。
それが良いか悪いか、などと言うことは視野に無かった。
600万人を虐殺したところで志半ばで裁判にかけられた。
この裁判に世界中が注目した事に彼は不思議そうだった。
ってな内容だった。
- 使命
実際、「中谷氏」の説明でもこの手の話があった。
「アウシュビッツ」の収容所長はこのすぐ傍に住んでいたそうだ。
家族も一緒で幸せそうだったらしい。
子どもたちは時々父の「仕事場」に遊びに来ていたという。
毎日、7千人を「処理」する傍ら、笑顔で子どもに接する。
「仕事場」じゃ部下がヘコヘコしてたんだべなあ・・・。
「お父さんは立派な仕事をしているんだよ」とか言って・・・。
そこには「善悪」とか「ヒトとして」なんて世界は微塵も無いんだべな。
考えただけで背筋が寒くなっちゃう・・・。
でも、程度の差こそあれ、結構ありがちかも・・・。
よく聞くセリフだと思う。
その事が良いか悪いかは問題じゃ無い。自分は与えられた使命を全うするだけ。
チームを甲子園の優勝に導く事以外の事は一切関係ない・・・とか。
官製談合は一種のワークシェアリングとも言えるんじゃないか・・・とか。
発想はあんまり違わないような気がする。
- 「ビルケナウ」
第一収容所の後、「ビルケナウ」第二収容所に移動。
ここは絵的には有名な場所である。
監視塔のついた門に向かって真っ直ぐに延びる線路。
印象的な光景だった。
監視塔に登って一面を見渡した。
荒涼とした野原に規則正しくレンガの煙突だけが並んでいる。
バラックが並んでいるより殺伐としたモノを感じる。
ここで「中谷氏」最後の解説があった。
「何かご質問は?・・・無ければこれで終了しましょう」
早っ!
ほとんど間髪入れずにガイドが終了した。
「中谷氏」はおばはん達に囲まれて「ヨン様」状態。
ホントは「ユダヤ人」が引っぺがそうとした十字架の場所を聞きたかった。
ちょっとキョーコさんを捕まえて訊いてみた。
「マーガレットさんが言ってた十字架ってどこにあるんでしょ?」
キョーコさんの顔に明らかに動揺が走る。
「あ、それは『中谷さん』に直接訊いて下さい」
しまったと思った。
又、外されちゃった・・・。
- 補足
クラクフ市内に戻る車中、キョーコさんからいろんな話があった。
昨日のマーガレットさんの「ユダヤ人」の話の補足もあった。
イスラエルは徴兵制度がある。
男性3年、女性2年であり、若者はその前に1年くらい放浪の旅に出る。
ディバッグかついで世界中を回ることが多いそうだ。
キョーコさんもそんな若者に何度も出会ったとか。
でも、そんな極端な狼藉を働く「ユダヤ人」には会った事はないと言っていた。
でも、彼らはある面で日本人に似ているかも知れないとか・・・。
つまり群れやすい。
確かに「シナゴーク」は世界中にある。
何かと固まりやすい。
「選ばれた民族」という意識は相当強いらしい。
じゃ、日本人とはぜんぜん違うべや。
いずれにしてもマーガレットさんは「ユダヤ人」が嫌い。
戦前、反ユダヤ主義で「ユダヤ人」は東欧に集められた。
一次はポーランド国民の約10%が「ユダヤ人」だったそうな。
元々、欧州でキリスト教が嫌う金貸しを業としていた「ユダヤ人」
ポーランドでも金貸しと歓楽街で金儲けしたそうな。
卑しい商売で「ポーランド人」を堕落させる「ユダヤ人」というイメージが出来上がった。
元々、好かれていなかったのは事実のようだ。
でも、見殺しにしたってえ言い方は当っていない。
随分多くの「ポーランド人」が地下活動で「ユダヤ人」を助けた。
それは「シンドラーのリスト」でも「戦場のピアニスト」でも同じ表現だった。
なかなか日本人には簡単に語れない。
遠く離れた島国のヒトビトには想像のつかない世界である。
- ディスコ
もう1つ世界的な話題になった話。
「オシフィエンチム」地区に2000年、ディスコが出来た。
これが世界中で議論の的となった。
歴史への冒涜だ!
いつまで暗いイメージだけを抱いて生きて行くのか?
賛否両論だったらしい。
でもヨーロッパは歴史保護の達人である。
現実的に保護の為にはおカネもかかる。
寄付だけでは限界がある。
観光も含めた産業振興をベースにしないと続かない。
巧く折り合いをつけてくしかなかんべなあ・・・。