最後に・【新木場界隈】のこと

  • 【両国橋】

 ノド乾いたなー・・・。
あと、望みの綱は【薬研堀不動】。
神社の境内で1っぴゃあ・・・。
ここも目的地の1つだった。
日本橋」界隈は網羅したつもりだった。
けど、ここんちゃ行ってにゃあ。
取りこぼしの1つだった。

「もうちぃっと歩けば、ビールにありつけるで・・・」

 【両国橋】を渡る。
ここも由緒ある橋だで・・・。
橋のたもとに石碑が建ってる。
歴史的にも古りぃ。
江戸時代。
1660年頃らしい。
当時、江戸幕府は「隅田川」を濠にしてた。

「橋は「千住大橋」1つっきゃ認めにゃあっ!」

こいで、テキが攻め込んで来れにゃあ・・・。
 ま、そりゃあ正しい。
城塞都市みてゃあなモンだで。
洋の東西を問わず、発想は変わんにゃあ。
ところが・・・。
明暦3年(1659年)。
【明暦の大火】が起きた。
この火事で多くの民が河岸まで逃げた。
でも、その先に逃げ場がにゃあっ!
大勢の民が死んだそうな・・・。

「こりゃあいかんっ!隅田川にたんと橋を架けべーじゃっ!」

 ってんで、出来た橋の第1号。
これが【両国橋】なんだそうな。
歴史がある。
名前も面白れえ。
「両国」ってえのは「武蔵」と「下総」のこん。
両方の国の境だった。
その後、国境は「江戸川」に移動。
この橋は【大橋】と呼ばれた。
んで、その下流の橋は【新大橋】になった。
でも、【両国橋】の名前は捨て難てゃあ。

「んじゃ、【両国橋】にすりゃあいいじゃっ!」

1694年のこんだったそうな・・・。

 「両国橋西」交差点に来た。
こっから左折すりゃ【薬研堀】。
通りにノボリがいっぴゃあ。

「おっ!雰囲気出て来たで・・・。如何にもって感じじゃん・・・」

薬研堀】っちゃあ・・・。

「七味とんがらしっ!」

って誰でも知ってる。
 何で・・・?
さあ・・・?
早速、調べた。
元祖はこの地の薬屋「中島商店」だそうな。
寛永2年(1625年)創業とか。
初代当主「徳右衛門」さんが漢方の知識を応用。
絶妙のレシピを生み出した。

「黒ゴマ」、「陳皮(ミカンの皮)」、「生の赤唐辛子(生)」、「焼いた赤唐辛子」、「ケシの実」、「麻の実」、「山椒の実」

当時は「なないろ唐辛子」っつってたらしい。
これが爆発的ヒット!

「確かに美味ゃあもんなー・・・」

 ときの将軍「徳川家光」も喰った。
パチイチで気に入られた。
んで、「徳」の字をもらったそうな。
ソク、屋号は「ヤマ徳」に。
名前にも「徳」の1字を使わせてもらった。
現代の9代目・10代目も「徳」の字を使ってるとか・・・。
 【薬研堀不動院】発見。
へ?
何じゃ、こりゃ?
小っちぇえーっ!
境内とかにゃあっ!
道路っ端からいきなり長ぎゃあ石段。
幅は1間っくりゃあ。
その上に神社らしき建物・・・。
ノボリだけは、これでもかって立ってる。

「ひゃあ、でんでん境内で一服してビールって雰囲気じゃにゃあで・・・」

諦めた。

「おとなしくウチ帰ゃーって、1っぴゃあやんべっ!」