こらしょと・神楽坂・文京界隈のこと
- パンフ
入口にパンフがあった。
ここに詳しい説明が載ってた。
教会の歴史もあった。
発端は明治32年(1899年)。
聖母仏語学校「玫瑰塾(まいかいじゅく)」だった。
付属の聖堂が建てられた。
「100年以上も昔なんだー」
大正9年(1920年)。
東京大司教座聖堂となった。
当時は畳敷きだったそうな。
信者は草履を脱いで中に入ゃーった。
さすがに昭和になって椅子が導入されたとか。
当時の写真もあった。
木造ゴシック式の聖堂だったらしい。
「これはこれでいいじゃん。残ってりゃあ貴重だったかも・・・」
いろいろ変遷もあった。
日本への布教の歴史と共に歩んで来た。
初っ端の日本の教会はキタとミナミに分かれたそうな。
キタの代表は横浜だった。
そのいと、キタの司教座が【築地教会】に。
更にキタは函館教区と、東京教区に。
東京は大司教区に昇格。
んで、1920年に関口が大司教座に。
「ひゃあ、てゃあへんなモンなんじゃんかー」
- 気合い
【カテドラル大聖堂】を後にする。
かなり疲れた。
「ひゃあ、結構かんだりぃで・・・」
最寄の地下鉄駅を探す。
中途半端・・・。
「江戸川橋」か、「護国寺」か。
どっちも15分っくりゃあ。
どうせ疲れてる。
戻るのもつまんにゃあ。
「せっかくだに、気合い入れてもうちっと先に進んで【護国寺】も舐めてみんべーか!」
「音羽通り」に出た。
これもいきゃあ通りだで・・・。
ひたすら北に向かう。
見えて来た。
できゃあ伽藍だで。
遠くからも見える。
山門のネキにひまわりがウロウロ。
「不忍通り」の交差点を渡る。
「ひゃあ、何だね!このでかさ!何でここがあんまし話題になんにゃあだか・・・?」
っつーくりゃあにできゃあっ!