もうちぃっと・神楽坂・文京界隈のこと

  • 「寺内公園」

 1907年。
【行元寺】は引っ越した。
土地区画整理に遭ったそうな。
品川区西五反田」に移転した。
跡地は公園に。
「寺内(じない)公園」と言うそうな。
又は【行元寺跡】とも呼ぶ。
超高層マンションの脇にあったらしい。

「ひゃあ、そんなんわっかんにゃあよっ!」

 明治期、【神楽坂】は最盛期。
町人の町になり、商人が増えた。
花柳界と相俟って賑わったらしい。
「山の手銀座」とか言われたそうな。

「連日連夜の賑わいでヒトが歩けなかったらしいで・・・」

尾崎紅葉」や「坪内逍遥」らの活躍の舞台にもなった。
文人が闊歩するオシャレな街だった。
 でも、昭和に入ゃーって暗くなっちった。
戦争の長期化でムードが一変。

「そりゃ、こーいた場所は盛り下がるわな・・・」

んで、東京大空襲
一面焼け野原になっちった。
復興はラクじゃなかったけど、しぶとかった。
花柳界はほぼ戦前の最盛期に匹敵するほどに復興。
社用族とか、政治家のお陰。

「ひゃあ、そーいた意味じゃちったあ役に立ってんじゃー」

  • 遠足

 更に歩んでく。
赤城神社】の横ったから路地へ。
ヤマ勘で西北西方向へ。
こーいた裏路地は面白れえ。
狭みゃあ1軒家が犇めき合ってる。
レベルはいろいろ・・・。
きっと元々の江戸っ子だんべ。

「こーいたとこに住む衆は、み〜んな近所づきあいしてんだよなー」

 都会も田舎も関係にゃあ。
って気がする。
ジモティの生活が垣間見える。
洗面器持ったおばはんが歩んでく。
その先にゃ銭湯。
すれ違う衆はみ〜んな挨拶してる。

「ひゃあ、ウチの田舎と変わんにゃあじゃー」

 「早大通り」に出た。
いきゃあ通りだで。
中央に立派な街路樹が並ぶ。
なかなか趣がある。
でも、クルマなんか通らにゃあ。
時々学生っぽいのが通る。
み〜んな信号無視。

「そりゃ、こんな信号待ってらんにゃあで。ちったあ考ぎゃあて作りゃあいいだに・・・」