まだまだまだ・神楽坂・文京界隈のこと

  • 【三社】

 この界隈の変遷は激しかった。
浮き沈みを繰り返したらしい。
赤城神社】は常に中心だった。
江戸時代は【江戸の三社】の1つと称された。
あとの2つもすぎゃあ。
日枝神社】と【神田明神】。

「その割りにゃあ、ここんちゃ扱いが地味だよなー・・・」

 【江戸の三社】はてゃあへんなモンだった。
三社の祭礼は特別扱い。
幕府の恩寵を受けた。
山車や練物とかは「江戸城」の出入りを許されたそうな。

「そー言やあ【日枝神社】の「神幸祭」は、今でも皇居に寄るなー」

栄枯盛衰。
何故か後に郷社に列することになっちった・・・。
 【赤城神社】の周りに寺社が多かった。
10ヶっくりゃああったらしい。
そん中に【行元寺】ってなできゃあ寺があった。
その境内にゃ町屋や遊興の場所があった。
えりゃあ賑わったそうな。
ここが【神楽坂】花柳界の発祥の地とも言われてるそうな。

「ひゃあ、この頃の寺も多角経営だったんだー」

  • 「岡場所」

 私営の遊郭のこんだそうな。
公営の遊郭は「吉原」だけだった。
「岡場所」はあちこちに作られたらしい。
【神楽坂】もその1つ。
武家屋敷」と、「門前町」と、「岡場所」。
めっちゃ賑やかだったらしい。

「何時の世も、変わんにゃあのかも・・・」

 面白れえ言葉があったらしい。

【神楽坂】の「岡場所」は「金銀山猫」!

へ?

  1. 赤城神社】の周りで遊ぶには金一分(4分の1両)
  2. 【行元寺】の周りで遊ぶのは銀七匁五分(8分の1両)
  3. 「山猫」ってえのは「山の手で寝る子」という意味・・・?

意味わかんにゃあ・・・。
 でも、何となく価値観はわかる。
「貨幣展」で観た。
当時、酒1升が200文(0.05両)。
下女の年俸が1両2分〜3両って言ってた。
っつーこんは。
酒5升分・・・?
下女の月給2ヶ月分・・・?

「ひゃあ、そりゃ確かに高給取りだべな・・・」