まだ・神楽坂・文京界隈のこと
- 花街
その後も火事にあった。
今享保、寛政年間と類焼の厄に遭った。
1792年。
寛政4年の火事で懲りた。
「ひゃあ、やってらんにゃあで・・・」
っつたかどうか知んにゃあけんど・・・。
「神楽坂」に移転。
でも、麹町にも遺跡が残ってる。
3丁目交差点に【善國寺谷跡】の石碑があるとか。
その後、寺はどんどん威勢が良くなった。
「毘沙門天」信仰が盛んになった。
将軍家から旗本、大名へ。
んで、庶民の尊崇の的になったそうな。
【神楽坂毘沙門】の威光は倍増。
えりゃあ賑わいになったらしい。
民家も増えた。
門前によしず張りの店も出来た。
「ヒトが集まりゃ、店も集まるってこんだ・・・」
明治初期にゃ花街も出来た。
華やかになったそうな。
縁日にゃあすぎゃあ人出になった。
馬車が通れなかったとか・・・。
明治・大正初期にゃ山の手銀座と呼ばれたそうな。
「泉鏡花」、「尾崎紅葉」、「北原白秋」・・・。
こーいった文人・墨客衆が闊歩したとか。
「ひゃあ、今じゃそんな面影のカケラもにゃあなー」
- 【江戸の三毘沙門】
1945年。
東京大空襲。
東京は火の海になった。
当然、【毘沙門天善國寺】も灰に・・・。
でも、再建は早かった。
わずか6年後に着手。
まずは「毘沙門堂」が再建された。
「やっぱ、ジモティに愛ゃーされてたってこんだらね・・・」
1971年。
「本堂」・「毘沙門堂」が完成。
立派に戦災後の復興が果たされた。
ジモティや、有縁の衆の賛助のお陰だった。
有り難てゃあこんだで・・・。
ところで・・・。
【江戸の三毘沙門】ってえのがあるそうな。
「ひゃあ、又出たかっ!」
いろいろあるモンだで・・・。
【江戸の三毘沙門】。
又、課題が増えちまったじゃ・・・。
まだあんで。
【新宿山手七福神】っ!
またね・・・。