更に・白山・王子界隈のこと

  • 地名

 創建時期は不詳とか。
でも、古くから聖地だったらしい。
源義家」の奥州征伐の故事も伝わるそうな。
ここで慰霊祈願して甲冑を納めたとか。

「奥州征伐の祈願って、あっちこっちで聞くなー」

 明確な歴史もわかってるらしい。
1322年に領主がいごいた。
領主「豊島氏」が熊野から「王子大神」を迎えた。
熊野に倣って環境を整備。
そいで地名が「王子」になったそうな。
下を流れる川も「音無川」と呼ぶこんになったとか。

「ひゃあ、すぎゃあ恐れ多い地名なんじゃにゃあかね・・・」

 戦国時代。
小田原「北条氏」が領主となった。
北条氏」もここんちを篤く崇敬したそうな。
徳川家康」公も崇敬篤かった。
ここんちを将軍祈願所に決めた。
朱印地二百石を社領として寄進したそうな。
二百石はえりゃあ広かったらしい。
遂に「王子権現」となった。
江戸名所の1つだったとか。

 徳川時代は絶頂期だった。
代々将軍は篤く崇敬。
三代将軍「家光」公は新社殿を造営。
1634年のこんだった。
以後、代々将軍が社殿を造営修繕。
すぎゃあ立派な造りだったらしい。
19世紀にゃあ、摂末社は17もあったとか。

「ひゃあ、上野の【寛永寺】とかに匹敵すんじゃん・・・」

 1737年。
八代将軍「吉宗」公が【飛鳥山】を寄進。
何故か?
「吉宗」公は紀州徳川家の出自だった。
んで、「王子権現」が紀州ゆかりってんで大喜び。
飛鳥山】を寄進して、桜を多く植えた。
江戸庶民遊楽の地とした。

ひゃあ、動機は何であれ、庶民にとっちゃいいこんだで・・・」

実際、今でも残る。
飛鳥山公園】の基となった。
現在も現役。
さくらの季節にゃ花見客がたかる。
結構な賑わいらしい。
近所を都電も通ってるし、花見の名所の1つだで。

「ここのさくらも観てゃあと思ったけんど、ちぃっと遠いだよねー」