まだまだ・赤坂界隈のこと

  • 逸話

 「七転び八起き」。
まさにこのヒトの為にある言葉だで。
めっちゃ逞しい。
不運と幸運が同居してる。

「ひゃあ、まさに“糾える縄の如し”だで・・・」

そもそもが私生児。
でも仙台藩士の養子になれた。
12歳の時に留学の機会を得る。
まず英語の勉強をした。
行った先が横浜の「ヘボン塾」。

「ひゃあ、「明治学院大」の前身じゃにゃあかね・・・」

 アメリカに行った。
途端に騙されて身包み剥された。
奴隷として売られた。
牧童や葡萄園作業員としてこき使われた。
でも運良く助けられて帰国。
明治元年(1868年)のこんだった。

「ひゃあ、のたれ死んでてもおかしかにゃあじゃ・・・」

  • 逸話2

 何とか帰国。
でも仙台藩への当りは冷てゃあ。
そいでも何とか英語を活かした職につけた。
書生とか、学校の助手とか・・・。
幸運だった。
はずだけんど、芸者遊びを覚えちった。

「ひゃあ、こんだ『ヒモ』暮らしだで・・・」

 又幸運にも学校の話が来た。
ソク乗った。
「共立学校」の初代校長。
現在の「開成高校」だと言う。
教え子に「正岡子規」や「秋山真之」がいた。

「ひゃあ、『坂の上の雲』の世界じゃんかー」

 給料も悪くなかったらしい。
そこそこ貯金も出来た。
ところがここで銀相場に手を出す。
んで、又もや身包み剥された。

「ひゃあ、懲りにゃあだねー。豪胆っつーか、何つーか・・・」