更に・赤坂界隈のこと

  • 「お触れ」

 江戸庶民は喜んだ。
「江戸参詣所」だらみゃあんち参拝出来る。
大岡家の屋敷稲荷も残った。
こっちは「奥の院」と呼ばれたそうな。

「ひゃあ、寿司喰いてゃあなー・・・」

 見事な「大岡裁き」っ!
しゃんしゃん!
のはずだった。
ところが明治9年(1876年)騒ぎがあった。
東京府がヘンな「お触れ」を出した。

“私有地で祀られる社堂への、無許可での一般参拝を禁止するっ!”

 こいで【東京参詣所】が使えなくなった。
庶民は参拝出来にゃあ。
大岡家も困った。
邸内の分霊も豊川の妙厳寺本院へ還されちった。

「ひゃあ、ひでえこんをしやがるじゃにゃあかっ!」

  • 「赤坂一丁目」

 所詮はお役所。
きっと何かがいごいたんだべ。
2年後にガラっと方針転換。
東京府から参拝の許可が下りた。
一般参拝が再開。

「ひゃあ、良くある構図だで・・・」

 「大岡越前守」は出世した。
「江戸南町奉行」になって大活躍。
テレビドラマにもなった。
これと連動して【豊川稲荷】の人気も急上昇。

【立身出世】
【盗難避け】
【失せモノ・失踪人】

明治20年(1887年)。
如何せん手狭になってきた。
ってんで現在地(元赤坂一丁目)に移転。
土地柄、花柳界・芸能界にも人気。

「ひゃあ、『ジャニーズ事務所』とかも信仰してるそうな・・・」