続々々・赤坂界隈のこと

 突然、真っ赤っか。
赤い提灯が並んでる。
派手っちい神社が見えて来た。

「ひゃあ、何だ!ありゃあ・・・?」

豊川稲荷東京別院】だった。
 「トヨカワ」・・・?
って誰でも思うべーじゃ。
でも、ホントに「豊川稲荷」だった。
愛知の・・・。
ここんちゃ、全国に別院があるそうな。
北海道から九州まで・・・。

「やっぱ、日本人はケツネ好きやもんなー・・・」

 江戸っ子も好きだったらしい。
確かに「油揚げ」は美味ゃあっ!
下町で作ってる「油揚げ」は絶品だで・・・。

「ケツネうどんも、稲荷ずしも、油揚げの味噌汁もでゃあ好きだでっ!」

んで、江戸は稲荷信仰が盛んだった。

  • 沿革

 ここの沿革が面白い。
元々はヒトんちの屋敷だったそうな。
誰か?

「何と、あの『大岡越前守忠相』っ!」

大岡家が【豊川稲荷】から勧請(かんじょう)。
屋敷稲荷として祀った。
 大岡家は元々三河らしい。
豊川稲荷】を信仰してた。
んで越前守ん時に江戸の下屋敷にも祀った。
その下屋敷が「赤坂一ツ木」に移転。
当然のように【豊川稲荷】も同伴。

「ひゃあ、転勤で「お稲荷さん」を連れてくのもラクじゃにゃあで・・・」

江戸は稲荷信仰が盛ん。
大岡邸は庶民に屋敷稲荷を開放してやったそうな。
そのいと、信仰はエスカレート。
信徒の要望で「江戸参詣所」が出来た。
豊川の「妙厳寺」本院が、大岡邸の一部を借りた。
これが【東京別院】の創建。
1828年のこんだったそうな。