続々々・【皇居東御苑】のこと

  • 「百人番所」

 「百人番所」ってえのもあった。
長ぎゃあっ!
ここも見事に古臭く復元されてる。
「大手三之門」を警護してた。
「本丸」・「二の丸」へ続くでゃあじな門だに。
「鉄砲百人組」と呼ばれる衆がいた。
甲賀組」・「伊賀組」・「根来組」・「二十五騎組」・・・。
同心百人が昼夜交代で警護に当たったそうな。
 このすぐ裏が「皇居警察本部」。
ひまわりの巣。
パトカーもある。
【東御苑】内を走り回ってる。
その姿だけで偉そーに見えちまあ。
ブサイクだで・・・。

「ひゃあ、それこそ『百人番所』を使やあいいじゃっ!馬にパトライトとか点けて・・・」

 いよいよこっから「二の丸」へ。
結構な坂道になってる。

「ひゃあ、『江戸城』ってこんな山の上にあっただかね・・・」

って思うっくりゃあ。
ホンットに完全にヤマの上。
「三の丸」とは段違いになってる。

  • 「築石」

 上りっ口にできゃあ石が・・・。

「はて、何ずら・・・?」

築石 (つきいし)だった。
江戸城の石垣に使われてたとか。
でも、何でここにあんだか・・・?
修復した跡らしい。
 石に何か書いてあった。
っつか彫ってある。
築かれた時の年代が刻まれてるそうな。
「宝永元年 、『石部金吉』石垣の修復を成す・・・」
みてゃあな。

「きっと、どんべりゃあ名誉なこんだったんだべなー」

 坂の上には「大番所」がある。
本丸へと通じる「中之門」警備のための詰所だった。
「大番」っつーのは常備兵力。
「家康」公が編制したそうな。
当時6組の組織が置かれたらしい。
「一番町」から「六番町」までの屋敷地があった。
今でも千代田区に町名が残ってる。
静岡も同じだった。

「ひゃあ、そー言やあ駅の近所の『二番町』に親戚がいたじゃー」