おまけ・谷根千界隈のこと

 勉強になった。
有難てゃあこんだで。
でも日も暮れて参りました。
最終目的地に向かわにゃあと・・・。

オソレ【入谷の鬼子母神

 おっさんに礼を言った。
おっさん、名残惜しそう。

「そうですか・・・。この先に「開山堂」や「輪王殿」があるんだけど・・・」

もっと説明したかったみてゃあ。
ちと後ろめたかったけんど、ばいちゃっ!
 「鶯谷」駅を横目に陸橋を渡る。
ほどなく【鬼子母神】到着。
キレイだった。
でも、小っちぇえっ!

「ひゃあ、これが有名な【鬼子母神】だかね。確かにオソレイリヤした」

 後から調べてわかった。
「江戸三鬼子母神」っつーのがあるとか。

  1. 【入谷鬼子母神】(真源寺) 台東区
  2. 雑司ヶ谷鬼子母神】(法明寺) 豊島区
  3. 【中山鬼子母神】(法華経寺) 市川市

なんだそうな。
他に【駒形鬼子母神】っつーのもあるとか。
これも結構メジャーらしい。
 そもそも・・・。
鬼子母神」ってナンじゃ?
って思うべーじゃ。
んで調べた。
わっかり易しぃ記事があった。

鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、そこに至るまでには以下の来歴があります。
その昔、鬼子母神はインドの夜叉神の娘で、嫁いで多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐で、近隣の幼児を食べるので、人々から恐れられました。
お釈迦様は、過ちから彼女を救うことを考えられ、末の子を隠してしまいました。
その時の彼女の歎き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は「千人のうちの一子を失うもかくの如し。
いわんや人の一子を喰らうとき、その父母の歎きやいかん」と戒めました。
そこで彼女ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになりました”

 びみょー・・・。
最近は嘆き悲しまにゃあ母親がいっぴゃあ。
むしろ喜んだり・・・。

「これで思う存分遊べるわっ!」

とか・・・。