しぶとく・谷根千界隈のこと

  • 「根本中堂」

 【延暦寺】は創建時の元号
もちろん元号を使うこんを許可された。
ってんで、【東叡山】も・・・。

「是非、元号を使わしてもらいてゃあっ!」

もちろん勅居された。
んで、【寛永寺】。
 その後、皇室から山主が来た。
その山主に「輪王寺宮(りんのうじのみや)」って称号が・・・。
何じゃ、そりゃ?
すぎゃあこんだったらしい。
比叡山」、「日光山」の山主も兼務。
仏教界に君臨した。
三山管領宮(さんざんかんれいのみや)っつーそうな。
ほお〜・・・。
 んな訳でできゃあ寺になった。
最盛期には境内地35万5千坪に。
上野界隈は全部境内。
大名並みに1万2千石の寺領もあったそうな。
各大名の寄進もあった。
子院は36坊まで増えたそうな。

  • 戦乱

寺はどんどんいかくなった。
今の噴水公園んとこに「根本中堂」が出来た。
間口45m、高さ32m・・・。
他にも「清水観音堂」、「五重塔」・・・。
伽藍が競い建ったそうな。

「そら、さぞかしすぎゃあこんだったべなー」

 ところが幕末。
戊辰戦争に巻き込まれた。
官軍が火を放って、全山が灰になった。
更に明治政府が境内地を没収。
壊滅的な打撃だったそうな。
その後も「関東大震災」、「東京大空襲」に遭う。
 そいでもしぶとく復興。
霊園も造成して都民に開放。
開かれた寺を目指してるそうな。
今は境内地3万坪。
子院19坊っつーから、十分いきゃあ。

「ここの『徳川将軍家の霊廟』を舐めて帰ゃーるべーかね・・・」