更に・両国界隈のこと

 更に歩んでった。
やっと全体像が見えて来た。
この公園の真ん中には【慰霊堂】があった。
さっきの塔は【慰霊堂】の裏だった。

「ひゃあ、まったくの裏側から入ゃーって来たもんで、意味がわかんにゃあだよ」

 【東京都慰霊堂】。
立派な造りだった。
確かに寺とは違あ。
神社とも違あ。
やっぱ【慰霊堂】だで・・・。
昭和5年(1930年)に建設。
都の「歴史的建造物」に指定されてるそうな。
 何故、この場所か?
ここには「陸軍被服廠」があった。
これが移転するこんになった。
んで東京市が跡地を買収。
公園の造成を進めてた。

「ひゃあ、その最中に『関東大震災』に見舞われたんだー」

 震災で多くのヒトがここに避難。
そん時に家財道具も運び込まれたそうな。
折からの強風。
あっという間に燃え広がった。
この場所で多くの焼死者が出たそうな。

「ひゃあ、家財道具が原因だかね・・・」

 死者は約58,000人だったとか・・・。
これが【慰霊堂】に納骨された。
同時に【復興記念館】も建設。

”「関東大震災」の惨事を長く後世に伝え、また焦土を復興させた当時の大事業を記念”

昭和6年(1931年)だった。
 中には震災と戦災の展示がある。
記念の遺品や写真とか・・・。

「ひゃあ、ちっと入ゃーってみんべーじゃ」

受付のおばやんいわく。

「もう閉館まで15分しかありません。せっかくですからもっとじっくり見に来て下さい・・・」

う・・・。
反論出来にゃあ・・・。