続々・【日比谷公園】のこと
- 大名屋敷
この公園の歴史を調べた。
やっぱ幕末までは大名屋敷だった。
「松平肥前守」とかが住んでた。
明治に入ゃーってから「練兵場」に。
明治21年まで使われたそうな。
東京も近代化。
日本で始めて「都市計画」が出来た。
そん時の「近代洋風都市公園」第一号。
洋風文化普及の先駆けだった。
「ひゃあ、そもそも公園ってのは洋風だったんだー」
明治36年(1903年)に開園。
設計者はめっちゃ気合が入ゃーってた。
「第一花壇」、「第二花壇」を造った。
公園を花で埋めようってこんで・・・。
「噴水広場」も造った。
和風(中華風)庭園もある。
「ま、いろいろあって面白れえけんなー」
- 「首賭けイチョウ」
ってえのもある。
この公園のシンボルになってる。
大木だで。
【松本楼】の横ったにある。
確かにできゃあ。
とんでもにゃあでかさだった。
言われがある。
元々は日比谷通り沿いにあった。
明治34年(1901年)通りの拡幅が決定。
工事の邪魔んなる。
ってんで伐採が決まったそうな。
「ひゃあ、こーいた体質は100年前も一緒だっただねー」
公園設計者は猛反対。
中心人物は「本多静六」博士。
東京市に乗り込んだそうな。
「ひゃあ、わや!このクビを賭けてもそんなこんは許さにゃあでっ!:」
気合が勝って、大イチョウは移植。
公園のシンボルになったとさ。
ちゃんちゃんっ!