続・【大連港】のこと 【5/31】
元々はロシアが開発に着手。
1898年のこと。
清国からの租借地だった。
不凍港を求めてた。
ロシアは必死に港を整備したそうな。
埠頭も2つ造った。
「ひゃあ、もうすぐいい港が出来るで・・・」
ところが、日露戦争勃発。
んで負けた。
「ひゃあ、あやキチギャーだで。負けるが勝ち・・・」
んで、日本に港を摂られた。
1905年には大阪との間に定期船が就航。
満洲国時代到来。
多くの開拓者がこの港に着いた。
更に、第二次世界大戦勃発。
よくもまあ・・・。
ま、ハメられたって言うか、ノセられたって言うか・・・。
1945年、日本敗戦。
ロシアは港を盗り戻した。
「ひゃあ、火事場ドロボーって言いたきゃ言えっ!」
中国も黙ってにゃあ。
「ひゃあ、返ゃーしてくんな!」
1951年、中国に返還。
そのまんま、ジモティ企業になった・・・。
「ひゃあ、結局漁夫が一番オイシイじゃんか!」
- 屋上
狭ゃあエレベーターだった。
ま、事務所用だんべ。
しかも2基のうち、1基はいごいてにゃあ。
使えにゃあなあ。
「ひゃあ、団体観光客用じゃにゃあだよ!」
って言われそう。
何度かに分乗して屋上へ。
ここからは、港周辺が一望。
「お〜〜〜っ!なかなかの眺めじゃん!」
眼下に【大連港ターミナル】が見える。
引込み線の跡も見える。
ねーちゃん、登場。
「それでは【大連港】について説明します。
まず、あの2つの埠頭がロシアが造ったものです・・・」
親切じゃん・・・。