【川島芳子旧居】のこと 【5/30】
- カワシマ
知らんなあ・・・。
「ひゃあ、誰だそいつぁ・・・?」
嫁さん、意外そうな顔。
「えーっ?知らないのぉー?
『男装の麗人』って有名だったじゃん!」
知らんなあ・・・。
調べた。
清朝の皇族粛親王(しゅくしんのう)の第十四王女、
本名は愛新覺羅 顯㺭(あいしんかくら けんし)、
字は東珍、漢名は金璧輝(へきき)・・・
ますます知らんなあ・・・。
1907年生まれだそうな。
「ひゃあ、わやヨーダか?何でそんな時代のこんを知ってっだあね?」
やがて川島家の養女に。
カワシマってのは、当時親王の顧問だったそうな。
清朝末期にいろいろ手助けしたらしい。
1915年来日。
日本で教育を受けた。
松本女高に馬で通ってたそうな。
ところが在学中に父親が逝去。
やれ葬式の、ヘチマのって追われた。
したら復学させてもらえず、中退になっちゃったそうな。
- 【粛親王府跡】
多感なトシゴロ。
大変だったんだんべ。
自殺未遂とかもあったそうな。
んで、オンナを捨てた。
バッサリと髪を切って、男装するようになった。
「ひゃあ、『男装の麗人』っつーのはそいでかね・・・」
元々、注目の的だったらしい。
イケメンだった。
マスゴミの寵児だったそうな。
その後、結婚したり離婚したり・・・。
いろいろあったけど、関東軍に協力。
大陸に渡って活躍したそうな。
「ひゃあ、満洲国建国を手ん伝ったってこった」
露出度は高かった。
ラジオのパーソナリティしたりしたそうな。
合い間に歌ったりもしたらしい。
「ひゃあ、天が2ブツも3ブツも与えるいい見本だーじゃ」
終戦後、中国に捕まった。
スパイ容疑で銃殺。
でも、日中双方で根強い人気があるらしい。
彼女が留学するまで住んでたのがここ。
「ひゃあ、やっぱ【川島芳子旧居】っつーよか、【粛親王府跡】だよなー」