マチュピチュ観光のこと【1/14】
- トレッキング
小さな「旅籠」が多い。
バックパッカーが泊まってるらしい。
【マチュピチュ】に行く基点にしてんだべな。
この田舎の村に一泊して・・・。
翌日「ペルー・レイル」に乗って・・・。
”違ったっ!”
彼らは列車に乗んない。
トレッキングだった。
【インカ道】を歩く。
歩いて【マチュピチュ】まで行くんだとか・・・。
「っぴゃあ〜っ!」
このトレッキングツアーは人気らしい。
1日500人の制限があるそうな。
この【オリャンタイタンボ】からスタートして、3泊4日。
専門のガイドが案内。
テントや食糧は用意されてる。
【マチュピチュ】の入場券も込みとか・・・。
ショートコースもあるという。
【マチュピチュ】の手前まで、列車で行く。
あと6時間歩って【マチュピチュ】
ってな事らしい。
お手軽な企画になってる。
どちらも、いつも予約でいっぴゃあだとか。
”ちょと、羨ましかったりする・・・。”
- 【タワンチン・スウユ】
「インカ帝国」の正式な名称。
「インカ帝国」って名前はヨーロッパ人がつけた。
【タワンチン・スウユ】・・・4つの地方からなる国土
って意味だそうな。
首都「クスコ」は4区に分けられてた。
その区割りの延長線が4つの地方だった。
- 【アンティ・スウユ】・・・「クスコ」の北東部、この【ウルバンバ渓谷】の上流地帯。鋭い峰々や深い峡谷からなる。この地方の首都は「パウカルタンプ」で「クスコ」から2日の距離だった。密林のインディオとも接触があり、熱帯の産物が入って来た。
- 【コンティ・スウユ】・・・「クスコ」の南西部、現在のチリとの国境から「ナスカ」、「イカ」や、「リマ」の北方海岸地帯まで含まれていた。皇帝への鮮魚は、この地方から供された。「ナスカ」、「イカ」、首都「パチャカマ」、「チャンカイ」などは、高い文化を保持していた為、統治に骨が折れたらしい。
- 【コヤ・スウユ】・・・「クスコ」の南東部、4つの地方で最も広い。【チチカカ湖】や、ボリビア、チリ、アルゼンチンの山岳地帯を含む、しばしば反乱が起こったそうな。金・銀・青銅の産地で、経済的にはずぇったい外せない地方だったが、首都は特に置かれなかったとか。
- 【チンチャイ・スウユ】・・・「クスコ」の北西部、首都は「クスコ」からわずか58kmの【リマック・パンパ】。この地区のジモティ「チャンカ族」はかつて「インカ帝国と猛烈に闘ったそうだが、統治後は”いい子”だったらしい。
これは、ガイドブック情報とちゃうで〜っ!
旅行前に読んだ本で勉強したんやで〜っ!
参ったかっ!