リマ市内観光のこと【1/12】
- 【ピサロ像(Don Francisco Pizarro)】
後ろ髪を引かれながら移動。
「カテドラル」の前を素通り。
正面の木戸だけ眺めた。
その横には、これ又立派な出窓があった。
「すぎゃあな、この出窓っ!」
ハンパじゃなく、すぎゃあ造りだった。
重厚で、かつ繊細な木彫。
石の文化なのに、この木の扱いには脱帽っ!
見事な建築美術だと思った。
これはスペイン文化だんべな・・・。
んで、その「カテドラル」を建てたのがこのおっさん。
”征服者「フランシスコ・ピサロ」”
1535年1月18日。
「ピサロ」が自ら「カテドラル」の礎石を置いたそうな。
「インカ帝国」を滅ぼし、膨大な金を手に入れた。
「よしゃ、次は便のいいリマに都を築くべーじゃ・・・」
- 因果応報
「ピサロ」の「インカ帝国」征服。
名目はキリスト教の布教だった。
スペイン国王からは布教の使命を与えられた・・・。
って事になってる。
「もちろん、真の目的は金でんがな・・・」
1532年、北部「カハマルカ」。
「ピサロ」はインカ皇帝「アタワルバ」をとっ捕まえた。
そこから極悪非道の限りを尽くす。
「アタワルバ」を幽閉。
「アタワルバ」も素直だった。
”金銀財宝さえアタワルバ、命だけは救われるべ・・・。”
甘かった。
「ピサロ」「インカ帝国」の金銀財宝を尽く略奪。
皇帝「アタワルバ」をキリスト教に改宗。
その挙句に殺しちゃう・・・。
”何だよっ!”
これじゃ救われにゃあべやっ!
でも、世の中”因果応報”。
1541年6月。
「ピサロ」はスペイン人の仲間割れの挙句、殺されたとか。
そして、その遺体が「カテドラル」の中にあるという。
真偽は定かじゃないらしいけど・・・。
「ピサロ」のミイラらしきモノがガラスケースに入ってるそうな。
”やっぱ、中も観なきゃダメじゃんっ!”