【Екатерина Ⅰ】(エカテリーナ1世)のこと

  • 歴史

 宮殿の歴史は「サンクトペテルブルク」の歴史。
宮殿の建設開始は1708年だそうな。
但し、小宮殿。
ピョートル大帝」が妻の為に造らせた。
サンクトペテルブルク」の誕生は1703年。
サンクトペテルブルク」そのものを造ってる最中だもんなあ・・・。
そうハデな事も出来なかったべ。
 妻「エカテリーナ1世」はリトアニアの農民の出だった。
当然、貴族の世界は居心地悪い。

「あたし、あずましくな〜いっ!」

って言ったかどうか知らんけど・・・。
その妻の為に離宮を造ってやった訳だ。
何て、優しい・・・。
 そ〜言えば・・・。

”想い出したっ!”

「バルト3国」に行った時、そんな話を聞いた。
リトアニアの農民の娘。
一度、結婚するが若くして後家になった。
ひょんなとこで「ピョートル大帝」に見初められた。
ひょんなとこで記憶が繋がる。
何か、ちょと嬉しい気分だったりする。

  • 孝行娘

 「ピョートル大帝」には娘がいた。
もちろん「エカテリーナ1世」との間に生まれた。

名前は「エリザヴェータ」

1741年に即位。
1762年までの21年間在位。
この娘がなかなか親孝行だったらしい。
 1741年、即位するとすぐ宮殿の建設を開始。
イタリアから建築家「ラストレッリ」を呼んだ。
どーしてもヨーロッパの文化。
ヨーロッパの技術を導入したかったらしい。
 15年後の1756年。
全長310mのロシア・バロック調の豪華な宮殿が完成。
そこらの因業女だったら、自分の名前をつけるべ。
孝行娘はやる事がちゃうっ!
「エリザヴェータ」は母の名をつけたそうな。

【Екатерининский Дворец】(エカテリーナ宮殿)

美しい話じゃあ〜りませんかっ!