国際会議のことⅤ
- 出張
まだ、毛唐との接点は続いている。
ホンネはもう逃げたい。
ウチの担当者に任せて、ノータッチにしたい。
でも、何やかんや逃げられない。
今度はアメリカで会議が開かれる事になった。
「悪いけど、行ってくれるかなあ・・・?専門的な事がわかる人がいないんだよねえ・・・」
冗談はよしこさんっ!
”死んでも行くもんかっ!”
ウチの担当者を行かせるように頼んだ。
「ウエがさあ、担当者じゃ判断出来ないからダメだって言ってんだよねえ・・・」
英語の出来るヤツも同行するとか言ってる。
”やなこったっ!”
- 作戦
苦肉の策。
”毒を喰らわば、皿までっ!”
こないだ世話になった輸出業者にサポートを頼んでみた。
それこそ、専門家中の専門家だってな理屈である。
ウエと称する輩は2つ返事だった。
でも、プロジェクト・リーダーと称するヒトは渋った。
ウエに直談判した。
「契約業者に交渉を丸投げするなんて、おかしいっ!若くてもカイシャの代表として担当者を行かせるべきだっ!」
極めてまともな神経のヒトなんである。
ウエいわく。
「これは部としての方針だ。交渉は輸出業者に全面委託する・・・」
ま、一応作戦は成功。
でも、情けない・・・。
- 慰労会
かくして、メンバーが決まって旅立った。
ウチの担当者は抜き。
英語をモノすると思しきヒトばっかり4名。
基本的に若い衆である。
英語は達人でも、仕事の中身は未知数・・・。
とりあえず、出掛ける前に打ち合わせはした。
輸出業者の方にも入ってもらった。
最低限の知識と、輸出業者と一緒に交渉するポイントをレクチャー。
資料も全部揃えて持たせた。
”ま、大丈夫だんべ・・・。”
数日後、アメリカから電話が入った。
電話口からドンチャン騒ぎが聞こえて来る。
会議が終わって慰労会をしているとか・・・。
みんなして、めっちゃ陽気だった。
きっと、交渉が上手く行って、お疲れさんではじけてるんだべ・・・。
ウチの担当者には気の毒だったけど・・・。
- 文化
帰国した一団は意気揚々だった。
早速、報告を聞く。
「え〜っと、その件はわかんないんで持ち越しにしました」
「え〜、それも後で担当者同士で協議してもらう事にしました」
「へ?そんな案件、ありましたっけ・・・?」
”てんめえ〜・・・。”
更にしばらくしてから、更に新事実がわかった。
アメリカにいる間、ずっと輸出業者に世話になってたそうな・・・。
ホテル、飲み喰い、送り迎え・・・。
正に”アゴアシ付き”。
ドンチャン騒ぎは輸出業者にたかってたってこった・・・。
”てんめえ〜・・・。”
これも文化なんだべな・・・。
トラバった先はそーゆー文化だったってこった・・・。
輸出業者の方には謝った。
「知らぬ事とは言え、お礼が遅くなって申し訳なかった。我々は子どもの頃、ヒトサマに何かしてもらったら必ず親に報告するように躾けられたんだけど、違う世代ばかりのメンバーだったらしい・・・。お恥ずかしい限りで・・・」
ホントに恥ずかしい・・・。