珍しくもない本の雑感74(4)
【最後の将軍 ―徳川慶喜―】
- 後見職
「桜田門外の変」から2年。
「慶喜」は謹慎を解かれ、世間の期待を一手に背負う。
―救国の主か・・・。
こんな声が次第に大きくなったそうな。
やがて、辞令が出た。
14代将軍「家茂」の後見とか・・・。
世は攘夷論と開国論で真っ二つに割れた。
しょっちゅう流血沙汰が起こる。
「慶喜」は、期待と反感の波間にもまれ続けたらしい。
- 歴史主義
14代将軍「家茂」も死んでしまった。
「慶喜」の将軍待望の声はますます大きくなった。
でも、「慶喜」は容易に引き受けようとしなかったらしい。
「慶喜」は歴史主義者だったそうな。
徳川幕府はほろびる。
それも風倒木(フウトウボク)のように自然に倒れるならよい。
しかし過去の歴史は、衰弱した権力を決して自然倒壊させていない。
かならず新興の者がおこり、過去の秩序に賊名を着せ、寄ってたかって討とうとする。
将軍になれば、「慶喜」はその討たれ者の役になるであろう。
見え見えだったんだべな。
たれがなるかっ!
周囲にそう漏らしていたらしい。
知った名前がいっぱい出て来た。
薩長の志士たちがゾロゾロ・・・。
「西郷隆盛」、「坂本竜馬」、「岩倉具視」・・・。
「大政奉還」は「坂本竜馬」のアイデアだったそうな。
これを前提に「慶喜」はついに将軍を引き受けた。
でも、結局都を落ちる。
大阪港から江戸に逃げた。
ここで「榎本武揚」、「勝海舟」が出て来た。
「慶喜」を海路江戸に運び、迎えた。
「岩倉具視」は「辞官納地(ジカンノウチ)を強要させた。
つまり「慶喜」を平民に落とし、領地を朝廷に返上させた。
「慶喜」は無一文の浪人になっちゃった・・・。
なかなかエグいじゃん。
- 恭順
「慶喜」は一番恐れていた”賊”になっちゃった。
さて、困った。
「慶喜」は作戦を練った。
絶対恭順を貫き、水戸・静岡で隠遁生活したそうな。
ヒトではなく、後世の歴史に向かってひたすら恭順したという。
賊臭を消し、何とか賊名をのがれんとした。
あの「渋沢栄一」も登場。
たまに静岡に会いに行ってたらしい。
行くと、「慶喜」はたいがい絵を描いていたそうな。
他のヒトとは一切会わなかったらしい。
「慶喜」は結構長生きした。
明治維新後30年を経て、事件のすべてが歴史になった。
天皇・皇后が「慶喜」を宮中に招待したそうな。
明治政府成立の最大の功労者として・・・。
翌日、天皇が「伊藤博文」に言ったそうな。
「きのうは久しぶりで恩がえしをしたよ」
あ〜、良かった・・・。
「慶喜」は大正2年、74歳で亡くなったそうな。
江戸、明治、大正、と3時代を生きた。
間違いなく、変わりモンだったんだべな・・・。
やっぱ、歴史は面白い。
それまで「徳川慶喜」って薄い印象しかなかった。
この本のお陰で、かなり濃い〜いヒトになった。