珍しくもない本の雑感74(3)
【最後の将軍 ―徳川慶喜―】
- 黒船
「慶喜」の将軍世継ぎ路線は順風満帆に見えた。
が、明日のことはわからない。
翌年、将軍「家慶」は急死しちゃったそうな。
こっから「慶喜」の苦労が始まったらしい。
その時、歴史はいごいた。
じゃないけど、ちょうどその時に「ペリー」が来ていた。
かの有名な宙船じゃない、黒船だべさ。
何てタイミングの悪い・・・。
「ペリー」は恫喝した。
「開国か、戦闘か!」
日本中が混乱した。
「ひえ〜っ!開国しようよお〜」って敗北外交主義。
「っざけんなよ!戦おうぜっ!」ってな攘夷主義。
天下は真っ2つに割れてしまった・・・。
- 精薄
「家慶」の子は1人しか残ってなかった。
選択の余地がなかった。
13代将軍「家定」である。
これが精神薄弱者だったという。
城内でテッポ振り回してるような状態だったとか・・・。
誰もが思った。
まさか「家慶」が急死してしまうとは・・・。
それならあの時、「慶喜」を世継ぎにしておけば・・・。
「まだ、早い」なんて言うんじゃなかった・・・。
”After festival”だべさ。
当の本人は頓着なかったらしい。
「慶喜」は利発で、器用で、雄弁だった。
けど、野望というモノに縁がなかったそうな。
周囲がイライラするっくらい・・・。
- 「安政の大獄」
お〜、そんなのありましたなあ〜。
日本史は選択してなかったけど、習った覚えがある。
「井伊直弼」が登場した。
「慶喜」とも何度か対談してる。
「いわば、愚にもつかぬ男だ・・・」
っと「慶喜」は評したそうな。
でも、ニンゲンの評価は、思想や知能じゃない。
どの程度の権力を握っているかで計らなければならん。
ってえ事を「慶喜」は思い知ったそうな・・・。
「慶喜」は思わぬ沙汰を受けた。
隠居慎(インキョツツシミ)
「安政の大獄」では多くの志士が犠牲になった。
”ヘタに逆らったら殺される。”
「慶喜」は賢かった。
素直に謹慎して、ず〜っと本を読んでいたそうな。
- 「桜田門外の変」
お〜、それもありましたなあ〜。
去年、「はとバス」で皇居に行った時に確かにあったなあ・・・。
何かとぶっぽーそーな時代だったらしい。
気に入らないとすぐ殺しちゃう。
アメリカみたいに野蛮な時代だったんだべな。
「井伊直弼」はあっさり殺された。
又、風が変わった。
「慶喜」の運命が転回し始めた。
本人にとって良かったのか悪かったのか・・・。