珍しくもない本の雑感74(2)
【最後の将軍 ―徳川慶喜―】
- 水戸家
「徳川慶喜」は徳川将軍家の生まれじゃなかった。
御三家の1つ、水戸徳川家の生まれだった。
知らんかった・・・。
そもそも、基礎知識を知らない。
【御三家】
【御三卿】
- 一橋家
- 清水家
- 田安家
将軍家に子が絶えた時は養子をとる。
それはこの御三家、御三卿から選ばれる。
この中でも、水戸の徳川家は一番格下だったらしい。
石高も少なく、官位も下。
唯一、優遇されてたのは、参勤交代の義務がなかった事っくらいだそうな。
当主が江戸屋敷に常住を許されてた。
「天下の副将軍」ってのはこの事情から庶民が囃しただけとか・・・。
正式に「副将軍」なんて位はなかったそうな。
これも知らんかった・・・。
- 副将軍
ってな訳で、「慶喜」の父は副将軍だった。
「烈公斉昭(ナリアキ)」と言われ、なかなかクセモノだったらしい。
能力はなかったが、好色で、妙に副将軍的気概だけは持っていた。
江戸城では毛虫のごとく嫌われてたとか・・・。
でも、ニンゲン何が幸いするかわかんない。
好色故に、子女がうじゃうじゃいたそうな。
その中の1人に「慶喜」もいた。
生臭く、好色なのが、家門繁栄につながったってこって・・・。
生臭いから、嗅覚はあったのかも・・・。
数ある子どもの中から、「慶喜」を見出したそうな。
幼名「七郎麿(シチロウマロ)」
「あの子だけはちがう」
「天晴れ、名将とならん。されどよくせずば手にあまるべし」
「よく躾けよ」
結果的に、見る眼があったって事になるべな・・・。
- 養子
巡りあわせってのは恐ろしい。
将軍家に世継ぎ不安が見える。
御三家、御三卿もことごとく不幸が続いてる。
生臭オヤジは読みをめぐらす。
「七郎麿」が、将軍になるかもしれぬ・・・。
11歳の「慶喜」は一橋家の養子になった。
異例中の異例だったらしい。
水戸出身が、将軍家の家族なんて考えられなかったとか。
当然、敵は多かったそうな。
「お血が、薄すぎるのではないか?」
陰口が絶えなかったらしい。
でも、当の本人は無心だったそうな。
- 鷹狩り
当時の将軍は12代「家慶(イエヨシ)」
「家慶」はえりゃあ「慶喜」を気に入ってたそうな。
嫁さんの妹の子という事もあったらしい。
ま、甥っ子だったらねえ・・・。
でも、実際「慶喜」は利発だったらしい。
文武両道に長け、手先も器用だったそうな。
ある時、将軍「家慶」が鷹狩りに出掛けた。
この時の鷹狩りは、特別なイベントだった。
慣例で、かならず世継ぎを連れて行くことになっていた。
将軍は「慶喜」を連れて行くと言ったそうな。
周囲がびっくりして止めたとか。
将軍は言ったそうな。
「そうか、まだ早いか・・・」
ってえ事は、肚は決まってた・・・。
この話が洩れ伝わって、生臭オヤジは狂喜したそうな。