珍しくもない本の雑感71(3)

 【サロメの乳母の話】

  • 「ブルータス」

 あの「ブルータス」の師ってのも登場。
ギリシャ人だった。
当時はローマからアテネに留学するのが一般的だったらしい。
師は学生時代から、「カエサル」暗殺事件までを回想。
これ又、見てきたような話っぷりである。
 「ブルータス」はちょー優等生だったらしい。
しかも他の学生と違って、卒業後の出世欲が無かった。
ギリシャで教職につきたいと言い出したとか・・・。
師は言った。

「キミは、ローマへもどりたまえ。ローマへもどって、キミに与えられるにちがいない政務につくしたまえ。そのキミに与えられた使命は、人間を人間らしくするものに、ローマ人を目覚めさせることだ」

「ブルータス」の運命は変えられてしまった・・・。
アテネに残っていれば・・・。
明日の事はわからんねえ・・・。

 良〜く覚えてる。
確か、モザイクの素晴しい大聖堂があった。
そして「ダンテ」ゆかりの街だとも聞いた。
その時は、ふ〜んっとか聞いてた。
 この「ダンテ」の女房の追想を読んで、由縁がわかった。
「ダンテ」はフィレンツェの生まれ。
そこそこ、いーとこのお坊ちゃまだったらしい。
女房の「ジェンマ」とは子どもの頃からの許婚だったとか。
 「ダンテ」は徹底した”世渡り下手”だった。
ヘタクソすぎて、フィレンツェから永久公職追放されちゃった。
フォリ、ヴェローナと転々として、ラヴェンナへ・・・。
ここで56年の生涯を閉じたそうな。
遂に生まれ故郷のフィレンツェには帰れなかった・・・。
 「神曲」が名を馳せ、詩聖とか言われたのは死んだあと・・・。
傲慢で、自信家で、”世渡り下手”・・・。
女房の「ジェンマ」もそんな亭主に愛敬を感じていたという・・・。
意外に可哀相な・・・。

 ここも良〜く覚えてる。
「聖フランチェスコ教会」には2回も行ってしまった。
正月に行った時は、素晴しいプレセピオが飾ってあった。
そして、教会の売店でプレセピオのデザインのカレンダーを買ってきた。
何ともステキなカレンダーだった。
 この教会の開祖「フランチェスコ」の母の追想も面白かった。
母はアヴィニョン生まれのフランス人だった。
父の生家のあるアッシジに嫁いで子どもが生まれた。
姑は「ジョヴァンニ」と名づけるように言った。
 母は頑張った。

「名前はわたしがつけたいっ!」

遂に母の強い希望がかなった。
「フランチェスコ」はイタリア語で「フランス人」という意味だそうな。
そして2人きりの時は「フランソワ」と呼んでたとか・・・。
なかなか度胸いるよなあ・・・。

  • 小鳥

 「フランチェスコ」は2歳っくらいから小鳥に話しかけた。
それは母の真似だったそうな。
母は寂しさを紛らわす為に、小鳥にパンくずを与えて話しかけた。
やっぱ、フランス語で・・・。
 「聖フランチェスコ教会に有名な絵が飾ってあった。
「小鳥に説教する聖フランチェスコ」という絵なんである。
母は、あの有名な絵は誤解だという。
息子は、母の真似をしてただ優しく話しかけてただけだそうな・・・。
へっ?
 成長した息子は教会作りに没頭。
ライ病患者に抱擁し、接吻したと評判になる。
もう、両親の手の届かないところへ行ってしまった・・・。
父は商人の後を継がせたかったが諦めた。
 いつしか、息子の仲間はどんどん増えた。
息子は44歳で死んだけど、信者が増えてフランスにも広がった。
遂には「フランチェスコ宗派」が法王にも認められた。
イタリア最大宗派になっちゃったそうな・・・。