珍しくもない本の雑感63

 【俘虜記】

  • クセ

 又、ヘンなハマリ方してる・・・。
ちょっと戦争文学づいてる。
「黒い雨」に続いて「井伏鱒二」作品。
「俘虜記」である。
 著者の従軍体験をフルに活かしてるとも言える。
でも、万人に書ける内容じゃない。
やっぱ、著者ならではの観察力・分析力なんだべな。
いろんな意味で面白かった。

  • 縮図

 ま、全体の構成はちょっと間延びしてる。
あんまり気負いこんで読み始めちゃうと、キレちゃうかも・・・。
俘虜収容所の日々の暮らしぶりが延々と続く。
そりゃ、変化を探すのは至難のワザである。
 じゃ、何が面白かったか?
「日本人」ってえモンを改めて理解出来た。
収容所でさえも「日本社会」の縮図になっちゃう。
戦争の最中は、死ぬか、生きるかの極限状態に置かれる。
ありのまま、ハチのパパ・・・。
 そして、その後の収容所生活。
命の心配が無くなった日本人はどう振舞うのか?
命以外の欲求は何なのか?
そのエゴがどんなモンか?
現代にも脈々と続くその性向は日本人の本質かも・・・。

  • アユ

 浜崎のこっちゃない。
「阿諛」である。
収容所では、たちまちこれが蔓延したとか・・・。
上官に「阿諛」し、同僚を無視する。
日本人にとって、こんなこたあオチャノコらしい。
 収容所では米兵だけが上官ではなかったそうな。
俘虜の中から数名の勤務員が選ばれた。

これら日本人の勤務員が、粗暴不親切横領等、あらゆる日本軍隊の悪習を継承していたことはいうまでもない。

”強きを助け、弱きをくじけっ”
”長いモンには巻かれろっ”
日本人は元来こーゆーんが得意だったらしい。

  • 偽名

 俘虜の多くは偽名を使っていたそうな。
小林、田中、鈴木・・・。
ありふれた架空の名前があふれたらしい。
これが、不運な場合もあった。
 比島人が、覚えていた”苗字”で戦犯を訴えた。
米軍は、この”苗字”を取り調べ、そのために帰還が遅れた。
偶然不幸な”苗字”の仲間入りした人達は気の毒だった。
皆、自分の要らざる配慮を後悔したとか・・・。
 著者は本名を名乗ったそうな。
自分が殺された時に、家族に伝わる機会を逃したくなかったとか。
”胆”の差だべか・・・?

 痛烈な一文もあった。

戦争の悲惨は人間が不本意ながら死ななければならないという一事に尽き、その死に方は問題ではない。
 しかもその人間は多く戦時或いは国家が戦争準備中、喜んで恩恵を受けていたものであり、正しくいえば、すべて身から出た錆なのである。
 広島市民とても私と同じ身から出た錆で死ぬのである。兵士となって以来、私はすべて自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。

 ”身から出た錆”
その通りなんだべな・・・。
こーゆー部分こそ、後進に読み継がれるといいんだけど・・・。
読まれないべなあ・・・。

  • 表情

 俘虜の表情は独特だったらしい。

彼等の表情は何か含むところがあるようでもあり、人の気をはかるようでもあり、おずおずと慎重で、要するにひどく間が抜けていた。こういう種類の表情は私はこれまで同胞に見たことがないし、今後もまず見ることはまずないであろう。
 というのは、当時の日本人の如く、恥じつつ文明国の俘虜の特権を享受するという状況は、多分もう繰り返され得ないからである。一度俘虜の味を覚えた日本人は、戦いが不利になれば猶予なく武器を捨てるであろう。
〜(中略)〜
日本人を傭兵として使うことは誰にも薦められない。

 まったくその通り。
今の日本人にゃ戦争なんか出来っこない。
なんだけど、勘違いしっ放しが多くて不安になる。
特に、いざとなれば絶対に前線に出るはずもないセンセイ達・・・。
そんな能力も”胆”もないくせに。
 ”クチは災いのモト”
余計な事は言わんで欲しいね。
官製談合でも、何でもやりゃいい。
天下って、カネ儲けも結構。
格差社会でも、不景気でも何でもいい。
我々が死ぬまでは、戦争だけはしないで欲しい・・・。