珍しくもない本の雑感61

 【黒い雨】

  • 古典

 に属するんだべなあ・・・。
「黒い雨」である。
井伏鱒二」のあまりにも有名な作品。
映画にもなったような気がする。

被爆という世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作

ってえのが、カバーに書いてある。
 何で今さら・・・?
ちょっと、気になったんである。
こういう貴重な本が後世に読み継がれるモンなのか・・・?
若人が手にとってくれるのか・・・?

  • 重さ

 戦後62年・・・。
もう、戦争体験のあるヒトは希少価値になってる。
首相はじめ、センセイ方だって大半は戦争を知らないヒトビトじゃん。
戦争を知るヒトだって、もう触れたくない。
あとは、自分の胸に秘めて墓場に持ってく覚悟だべや。
 国は底抜けに平和だし・・・。
失業率が・・・、格差が・・・。
ちゃんちゃら可笑しい。
これだけ、豊かで平和な国なんか滅多にないべ。
 そんな社会に生きて、若人がこんな本を読むか・・・?
ま、無理だんべな。
あまりにも暗い。
重たい。
もう、ほとんど別世界になっちゃったべな・・・。

  • 「被爆日記」

 作品は、主人公の「被爆日記」である。
被爆者が、原爆症に脅えながら書いているという設定。
悲惨な体験のオンパレード。

あのときは、とても咽が渇いておった。水が飲みたくて飲みたくて、たまらなんだ。道ばたの水道栓をひねったら、湯気をあげる熱湯が出た。口をつけることは出来ないし、手で受けることも出来なんだ。

これっくらいは、序の口。

血を流していなかったものは1人もいない。頭から、顔から、手から、裸体のものは胸から、背中から、腿から、どこからか血を流していた。頬が大きく膨れすぎて巾着のようにだらんと垂らし、両手を幽霊のように前に出して歩いている女もいた。一糸まとわず、さながら銭湯の湯舟へ入るときの格好で、ひょいひょいと身をかがめながら歩いている男もいた。
声を限りに叫んでいる男、悲鳴をあげながら走る女や子供、苦痛を訴える者、道ばたに坐りこんで、空に向けて差出した両手を無闇に振っている男。

被爆直後の様子が克明に描かれてる。
筆致は淡々としてるけど、惨状が眼に浮かぶ。
悲惨なんてモンじゃない。

  • 逆説

 逆も言えるかも・・・。
若人にこんな惨況を知らしめても、反応しないかも・・・。
”だから、どーした?”
っとか言いそう・・・。
 平和ボケし過ぎた社会は何かと刺激を求める。
それも絶対に高い方には向かわない。
水と同じ、低い方に流れる。
メディアは”エロ・グロ・ナンセンス”に突っ走る。
人殺しなんか当ったり前。
残虐な殺人シーンなんか慣れっこになってるかも・・・。
 そーゆー向きにオススメの場面があった。
主人公が8月10日に広島市内に行った時の情景。

橋のたもとのところに、人が仰向けに倒れて大手をひろげていた。顔が黒く変色しているにもかかわらず、時おり頬を膨らませて大きく息をしているように見える。目蓋(まぶた)も動かしているようだ。僕は自分の目を疑った。荷物を欄干に載せかけて、怖る怖るその屍に近づいて見ると、口や鼻から蛆虫がぼろぼろ転がり落ちている。眼球にもどっさりたかっている。蛆が動きまわるので、目蓋が動いているように見えるのだ。

8月6日の午前8時15分、事実において、天は裂け、地は燃え、人は死んだ。戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。

官製談合でも、何でもやりゃいい。
格差社会でも、不景気でも、何でもいいじゃん。
死ぬまで、このまま平和が続いて欲しい・・・。