珍しくもない本の雑感59(10)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

明けまして、おめでと〜っ!

  • 「NEW YEAR'S RESOLUTION」

 新年だ。
2007年である。
今年は、いい年にしなきゃいかん!
悪いことはキレイさっぱり忘れてしまおう。
重く、辛く、しんどい過去はとっとと忘れるに限る。
変化の年にすんべやっ!
 新年の抱負は・・・?
う〜〜ん・・・。

堪忍は無事長久の基

っかな・・・。
トシとともにどんどん堪え性が無くなってきた。
これは大いに反省してる。
 もっともっと、おおらかに、懐を深く・・・。
多少、脇が甘くってもいいじゃん。
大きなゆったりしたスイングを目指したい。
(ナンのこっちゃ?)
ま、何でも笑って受け流せる寛容さが欲しいね。
キーワードはやっぱ「笑い」だんべな・・・。

  • 経済復興

 日本の「防波堤化」が始まった。
1948年12月、「マッカーサー」に至上命令が届く。
「経済安定9原則」である。
「改革」より「経済復興」だっ!
「文化」より「経済」だっ!
 翌々月、デトロイト銀行頭取「ジョセフ・ドッジ」が来日。
有名な「ドッジ・ライン」の始まりだった。
「ドッジ」さんはのたもうた。
「最も大切なのは国民の『耐乏生活』である」
 なけなしの援助や補助金で成り立ってる経済なんかもたない。
インフレを抑制する。
「金づまり」状態にして、デフレを誘導する。
預金封鎖」という強攻策に出た。
でも、確かにヤミが好き放題に値を吊り上げる事は出来なくなった。
「ガイアツ」が無いと何も出来ないってのも、変わらないねえ・・・。

 「ドッジ・ライン」でカネが回らない。
政府も公務員をスリムにするっきゃない。
「定員法」で公務員20万人のクビきりがあった。
ま、当ったり前と言えば当ったり前なんだけど・・・。
 まず手はじめに国鉄公社から始めた。
戦後の引き上げ者で従業員は62万人に膨らんでたとか・・・。
何じゃ、そりゃ?
この辺の体質はず〜っと変わってないべや。
 抵抗も激しかったらしい。
労働争議が頻発した。
下山事件」、「三鷹事件」、「松川事件」が起こった。
立派な人殺しだべさ。
昔の「ユートピア」は過激だったらしい。
でも、それをやっちゃあお仕舞いよ。
おいちゃん。
結局、組合側が負けた。

  • 戦争の傷

 1949年(昭和24年)には明るい話題も出て来た。
5月、年齢の数え方が「満年齢」になった。
妙齢の女性には喜ばれたとか・・・。
6月、シベリアからの引き揚げが再開された。
それまでは米ソ冷戦状態の中でストップされてたそうだ。
8月に全国高校野球がはじまった。
この時から「甲子園の砂」が始まったそうな。
11月、「湯川秀樹」博士がノーベル物理学賞受賞。
 もちろん、暗い話題もあった。
10月、稀代の強姦魔「小平義雄」の死刑執行。
十数人を強姦し、7人を殺したとか・・・。
この外道が捕まった時に言ったそうな。

「中国従軍の時に覚えたあの味が忘れられなかった」

著者はこれを”戦争の傷が尾を引いて・・・”と表現してた。
そりゃ、違うべや・・・。
戦争に失礼だべや。

 1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。
ソ連の援助を受けて、キタが韓国に攻め入った。
慌てた米国はすぐに国連軍を編成して反撃。
米ソ冷戦構造そのままである。
まったくの「代理戦争」だったらしい。
 戦闘は激しかったそうだ。
米軍いわく。
「太平洋戦争の3年8ヶ月より多くの弾丸を撃った」
有名な38度線を境に膠着状態になっちゃった。
「もう、いい加減にやめるべ!」
国連もうんざり・・・。
 すったもんだの挙句、やっと停戦。
1953年7月27日。
有名な「板門店」で休戦協定が調印された。

  • 「神風」

 日本にとって、「朝鮮戦争」は「神風」だった。
日本は国連軍の前線基地になった。
食糧や弾薬の補給だけじゃなかった。
負傷兵の治療や、武器の修理・整備の場所になった。
国連軍の「不沈空母」だった。
 ここで「特需」が生まれた。
GHQは直接、民間から物資を調達した。
ありとあらゆるモノが飛ぶように売れたそうな。
しかも「言い値」だったとか。
お金がザクザク入ってきたと言う。
 「トヨダ」や「ゾニー」の基礎もこの時に出来た。
トラックや電波探知機がバカ売れしたから・・・。
こうして戦後日本は、どん底から3年で生き返っちゃった。
これが良かったのか、悪かったのか・・・。
びみょ〜・・・。
続きは又・・・。