珍しくもない本の雑感59(9)
【昭和史ー戦後篇 1945−1989】
- 新調
開田院に行ってきた。
お坊ちゃまの墓参りである。
”お坊ちゃま、元気にしてるか・・・?”
こないだ、お参りしたら花が吹き飛ばされてた。
よっぽど強い風だったんだべな。
何てったって、日本は亜熱帯に向かってる。
気候も昔みたいに優雅じゃなくなってきた。
雨も風もハンパじゃない。
街が沈んだり、クルマが吹っ飛ばされたり・・・。
日本離れしてる・・・。
亜熱帯はそれなりに対策しなきゃなんない。
新年の花を新調した。
嫁さんがアートフラワーを買い集めてきた。
ホントは生花の方がいいんだけど・・・。
最近はお寺さんで生花を嫌うらしい。
ま、いっか。
気持ちの問題だし・・・。
- 米ソ対立
1947年3月に「トルーマン・ドクトリン」が出た。
「トルーマン」は骨の髄までソ連嫌いの大統領だったらしい。
もう、これで米ソ対立構造は決定的。
良く耳にした「冷戦状態」である。
でも、大戦中からず〜っとギクシャクしてたらしい。
ソ連が単独でドイツと戦ってる時に米英は協力しなかったとか・・・。
仕方無いので、ソ連がドイツと単独講和を狙って不信を買ったとか・・・。
ま、基本的に肌が合わないんだべな。
「冷戦状態」の原因が挙げられてた。
何だか、今から思えば稚拙な原因かも・・・。
- 「5大強国」
冷戦状態はびみょーなチカラのバランスを作った。
ヨーロッパは真っ2つでわかりやすい。
でも、アジアは複雑だったらしい。
まずは中国。
ソ連は終戦後、満州や朝鮮北部から一斉に引き揚げたそうな。
東欧とは大違いだった。
何故か?
理由は”「蒋介石」の「国民党政府」に任せる”って・・・。
これはアメリカにとっても好都合だった。
当時の「国民党」は元気だった。
「共産党」を西端に追いやって孤立させた。
これって「ワイルド・スワン」で読んだ気がする・・・。
アメリカは反共産党政権の中国を「5大強国」の1つにしたかった。
戦争に勝った、”米・英・仏・ソ・中”っである。
国連も、この「5大強国」で運用しようと企んでた。
- ご都合主義
なかなか、目論見はうまくいかんざき・・・。
瀕死の「毛沢東共産党」がしぶとく「延安」から蘇っちゃった。
アメリカには大誤算だった。
「蒋介石国民党」が腐敗しきっていたらしい。
既に手遅れだった。
1948年、大陸は「紅軍」一色に染まってしまった。
さて、困った。
中国が共産主義陣営に取られたらアジア戦略が吹っ飛んじゃう。
そこへ、更にややこしい問題が・・・。
朝鮮半島がきな臭くなってきた。
38度線を境に米ソの対立構造が出来上がってしまった。
「キタ」は「キムピョン」のオヤジが頑張ってった。
「金日成」である。
共産主義国が又1つ増えてしまった。
アメリカには大々誤算だった。
ここでアメリカは考えた。
”こうなったら、日本をアジア戦略の最前線にすんべっ!”
これまで進めていた、裁判や改革から一気に方向転換した。
「アメリカ式ご都合主義」の始まり始まりぃ〜っ!
- スライス
ワシントンから「マッカーサー」に命令が来た。
厳しい占領政策を方向転換せよ。
万一、日本が共産主義に走ったりしたらえりゃあこった。
- 改革や追放などをこれ以上進めないこと。
- 日本の悪事をさらには洗い立てず、戦犯裁判(東京裁判その他)を早期に終結させること。
- 日本国民の不満解消に向け、改革よりも貿易など経済復興を第一義的な目的とすべきこと。
- 日本独立に向けた講和を視野に入れ、警察を強化する、また沖縄・横須賀の基地は確保しつつ、総司令部の権限をできるだけ日本政府に委譲すること。
大スライスである。
しかも、最後の「警察の強化」ってのはホンネじゃなかった。
ホンネは「再軍備」だったそうな。
終戦後、わずか2年半である。
「憲法9条」に「非軍事的平和国家」を謳われた直後だべさ。
”喰うのに精一杯なのに、何が「再軍備」だっ!”
「マッカーサー」と「トルーマン」は大ゲンカになったとか。
「マッカーサー」にしてみれば日本は自分の「作品」だった。
GHQの押し付けじゃない「改革」だ。
日本人との合作なんだから、”アカ”に走るなんてあり得ないべや。
それは正解だと思うけどね・・・。
思えば、「冷戦構造」が今の日本の基礎を作ったんだべな・・・。
続きは又・・・。