珍しくもない本の雑感59(8)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

  • イブ

 大晦日イブである。
今年はいつにも増して、多忙な年末である。
ってゆ〜かあ、忙しくしてんだけど・・・。
「タボウマイシン」の大量投与である。
 今日はモロモロの準備の日。
一応、新年迎える体制を整えたりなんだり・・・。
カレンダーを付け替えた。
気はココロで、玄関にお飾りも付けた。
「三嶋神社」にお礼参りにも行ってきた。
年賀状もやっつけた。
準備万端だべや。
 明日は、朝から「蕎麦打ち」である。
わざわざ、北海道鹿追町から蕎麦粉を取り寄せた。
これ喰っちゃうと、他の蕎麦が喰えなくなっちゃう。
こいつを丹精込めて打つんである。
その「打ち立て蕎麦」を土産に実家に帰る。
何て、親孝行なんだしょっ!

 しょっちゅう問題になる靖国神社
何でゴチャゴチャしてんのか、ようやくわかった。
1978年、「A級戦犯」たちは靖国神社に祀られた。
戦後33年も経ってから・・・。

【国家のための殉教者】

  1. 死刑判決の7名 :木村、板垣、武藤、松井、土肥原、東条、広田
  2. 裁判中病死の2名:松岡、永野
  3. 巣鴨獄中死の5名:梅津、東郷、小磯、白鳥、平沼

 確かに、運不運の要素もあったらしい。
「え、何でオレなの・・・?」ってな話もあったらしい。
でも、全員が”殉教者”か?
著者も、んなこたあ無いと言ってる。
立派に国を滅ぼし、多くの国民を殺した「犯人」だべさ。
 でも、「殉教者」として祀られた。
「もう30年も昔のこたあ、水に流してさ・・・」
端っから、誰も反省なんかしてなかった・・・。
特定の「戦犯」に責任を押し付けた後ろめたさか・・・。
”「戦犯」なんて無かった事にしちゃおう”ってことか・・・。
日本人らしい”寛容さ”か・・・。

 東京裁判の冒頭に、アメリカの検事団長が起訴状を読んだ。

東京裁判は勝者による軍事裁判であるが、将来の国際平和を確立せんがための新例である。日本の犯した国際平和に対する反逆、侵略戦争および不法残虐行為に対して文明の名において裁判し、過去の責任者を摘発し抹殺し、将来の戦争防止に資せんとするものである」

東京裁判は「新しい例」だとか・・・。
著者が考えた東京裁判ってなあ何だったか。

①日本の現代史を裁く
アメリカの原爆投下、ソ連満州侵攻・・・などはすべて正しかった。連合軍側にすべての「正義」があることを確認するための裁判。
②「復讐」の儀式
勝ったとはいえ、連合軍もかなりの死者を出している。自国民にその死が無駄で無かった事を納得させる為の儀式。
③日本国民への啓蒙強化の目的
日本国民は言論封鎖で何も知らされていなかった。数々の虐殺事件を知らしめ、軍国主義の罪状を明らかにし、国民に罪は無かったので責任は問わないことを示し、よき民主主義国家の人民になるよう導く「啓蒙」

この3つではなかったか、っと言う・・・。
ちょっと強引やねえ・・・。

  • 「復讐」

 ②の復讐ってえのはわかりやすい。
何が何でも死刑を出さなければならなかった。
さもないと選挙にも響く・・・。
実際、「BC級戦犯」は5,702人が告訴された。
その内、948人が「Death by hanging」
「Prisonment for life」も結構あったらしい。
 子どもの頃、「私は貝になりたい」ってなマンガを読んだ。
一般小市民が「捕虜虐待」の罪で死刑になる話だった。
「虐待」ってのは、捕虜に木の根っこを喰わせた事だったとか・・・。
ホントは捕虜が飢えてるのに見かねてこっそり喰いモンを与えた。
それが「ゴボウ」だったってこって・・・。
 小市民は処刑の前に叫ぶ。
こんな戦争のある世の中は2度とゴメンだ。
今度、生まれ変わるなら”深い海の底の貝になりたい・・・。”

  • 「正義」

 ①の「正義」はびみょーだべな。
要は”勝てば官軍”だべさ。
ま、そりゃ仕方がない。
負けたらいくらエバっても、クソの役にも立ちゃしないわよっ!
 ”連合軍は歴史に合致する「正義」を行ってきた。”
「原爆投下」もやむを得なかった。
何ごとも”勢い”は大事だべさ。
ヒロシマの余勢をかって、”ナガサキ”に行っちゃったのは自然だべさ。
次の”お代わり”の前に降伏されちゃったけど・・・。
 列強諸国が散々植民地を作ってきたことも事実。
でも、それは19世紀の帝国主義のお話。
20世紀の現代には、許されるこっちゃないべや。
って言いたいらしい。
ま、これも”勝てば官軍”のたぐいだあね。

  • 「啓蒙」

 ③の「啓蒙」活動もびみょーだったべな。
軍国主義者がすべて悪いっ!
一般国民はみんな被害者だべさっ!
この言い方は最悪だった。
これで国民が、一気に木に登っちゃった。
 さらに教育にも介入した。
「修身」、「日本歴史」、「地理」が履修禁止になった。
そして民主主義教育が始まった。
民主主義もアメリカ流だったから、始末が悪かった。
 1947年12月に「民法改正」
これで「封建的家族制度」が全否定されてしまった。
以来、日本人はアメリカの思惑通り。
ヤ、むしろ思惑以上に、アメリカナイズされた。
これがアメリカの勘違いを増長させる原因になったんだべな・・・。
続きは又・・・。