珍しくもない本の雑感59(7)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

  • 御用納め

 今日は、どこもガラガラ。
朝、会社に向かう道筋もヒト気がなかった。
もう、昨日で仕事納めのところが多かったんだべ。
「役場のヤツラが休んでるのに、働いてられっか!」
ってんで民間も休みになるんだべな。
 ウチの会社は迎合しない。
毎年、この29日には寂しい思いをする。
「え、オタクまだやってんですか?」
なあ〜んて言われながら、もう30年になる。
もう、すっかり慣れっこだけど・・・。
 思えば、よくここまで来たモンだ。
入社したばっかの頃は、とても社会人になれると思えなかった。
最初の夏休みなんか、キレそうだった。
”何で、たった3日しか夏休みが無いんだあ〜っ!”
慣れってのはすごいモンである。

  • 地方巡幸

 1946年2月19日。
天皇が地方巡幸をスタートしたそうな。
天皇自ら言い出したことなんだとか。
”国民に戦争で苦労をかけたことをひとことお詫びしたい”
 この時に有名なセリフが生まれたとか。
「お父さんは元気かな?」
「お父さんは戦死しました」
「アッ、ソウ・・・」
これが日本中に流行ったとか・・・。
 うん、覚えがある。
子どもの頃に聞いた事がある。
大人が「アッ、ソウ」っとか言いながら笑ってた。
天皇憲法改正にも肯定的だったそうな。
「自分は象徴でいいと思う」
やっぱ、この潔いスタンスは日本人向きだべな・・・。

 1946年5月3日に東京裁判が開廷。
48年11月まで多くの判決が出された。
戦争犯罪人については「ポツダム宣言」に謳われてた。
GHQの管理下でどんどん裁判が進んだそうだ。
 戦犯容疑者の逮捕もどんどん進んだ。
天皇の側近「近衛文麿」にも逮捕状が出た。
でも、「近衛」は出頭せずに自殺しちゃったそうな。
「東条」のようなぶざまな醜態はさらさなかった。
「悲劇の宰相」と言われるそうな。
 でも、著者は”底知れぬ無責任”と断じてる。
「いずれ、私の志は国民がわかってくれるだろう・・・」
遺書には、そう書かれていたそうだ。
でも、60年経っても誰一人その志とやらは理解できない。
やっぱ、ちゃんと信念を話した方が良かったべや、っと言ってる。
そうかも・・・。

 「東京裁判」は大事な証人を失った。
ダッチロールが始まっちゃう。
2年半もかけて裁判やってる雰囲気じゃなくなって来た。
世界情勢の変化の方が早かった。
今でも、ゴチャゴチャしてる原因はこの時に出来ちゃったらしい。
 戦犯のA・B・Cについても解説されてた。

  1. A級:「侵略戦争を計画し、あるいは指導した者、ならびに戦争を防止しなかった者」
  2. B級:「国際条約あるいは慣行に違反し、俘虜(フリョ)または住民を虐殺または虐待した事件の直接または間接の責任者たりしため戦犯になった者」
  3. C級:「B級の事件の直接下手人たりしため戦犯になった者」

ただ、実際はBとCは同じようなモンと判断された。
「BC級戦犯」として、直接の被害国にみに裁かれたそうだ。
 「南京虐殺事件」は中国。
シンガポール虐殺事件」はイギリス。
インドネシア事件」はオーストラリアってな具合だったそうな。

  • 国際検事団

 これは被害を受けた11ヶ国で構成された。

アメリカ、イギリス、中国、フィリピン、ニュージーランド、カナダ、オランダ、オーストラリア、ソ連、フランス、インド

 へ?
何で?って思うような国が並ぶ。
ゼロ戦がイギリスやオランダに飛んでった、とは聞いてないべや。
結局、戦場が植民地だったってこった。
列強は、直接的な被害は少なかったんだべな。
 この11ヶ国で第一級の「A級戦犯」が選ばれた。
スガモプリズン(巣鴨拘置所)には100人以上の候補がいたそうだ。
その内、28名が厳選されたらしい。
時間もカネもずいぶんかかった。
確かに2年半は長いべな・・・。
 ホントは残ったヒトビトも裁判にかける予定だった。
ところが世界情勢が変わってしまった。
みんな仲良く裁判してる訳にゃ行かなくなっちゃった。
1949年2月、「A級戦犯」追加裁判は止める事になっちゃったそうな。

  • ホシ取り表

 「準A級戦犯」は命拾いした。
すごい名前が並んでた。
「笹川良市」、「児玉誉士男」、「岸信助」・・・。
濃い〜いっ!
色は別として、知名度バツグンの大物だべさ。
かえってハクが付いちゃったってこった。
 「A級戦犯」の内、7名が処刑された。
国際検事団11ヶ国の星取表も付いてた。
死刑判決に賛成か、反対か・・・。
オーストラリア、ソ連、フランス、インドは全員死刑反対だった。
おクニに死刑罪がなかったそうな。
ソ連はちょっと意外だべや。
死刑制度は無いけど、暗殺や抹殺はありってか・・・。
 逆に、英国、中国、フィリピン、ニュージーランドは全員死刑賛成。
ってえ事は、あとの3カ国次第ってこった。
運命のカギを握ってたのは、アメリカ、カナダ、オランダって事になる。
「広田元首相」はアメリカ、カナダに「×」をもらって吊るされた。
「5勝6敗」になっちゃったから・・・。
残りのヒトはみんな「6勝5敗」で命拾いした。
”運”だけだべや・・・。
続きは又・・・。