珍しくもない本の雑感59(5)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

 戦後の食糧不足の話はよく聞いた。
三島のじ〜じも、ば〜ばも、これは共通してた。
「芋のツル入り粥」とかの話も聞かされた。
ホンットに飢餓状態に近かったらしい。
 B-29の無差別爆撃は90都市に及んだそうな。
236万戸が焼失、841万人が焼け出されたと言われる。
配給なんか全然足りない。
更に復員兵がどんどん増える。
内地の復員が761万人、引き揚げは150万人とか・・・。
 いつの世も、目ざといヒトはいるモンである。
「関東小津組」ってなテキ屋がいごいた。
8月18日の新聞にデカデカと広告を出したそうな。

「転換工場並びに企業家に急告!平和産業の転換は勿論、其の出来上がり製品は当方自発の”適正価格”で大量引受けに応ず」

闇市の始まりだった。
モノは飛ぶように売れたという。
昭和21年2月には、東京の闇市露天商が7万6千人いたとか。

  • 餓死

 外国人記者クラブでのことだそうだ。
時の大蔵大臣渋沢敬三」ってえのが口を滑らせた。
「1千万人が餓死するかも知れない・・・」
「げっ!」
 みんな、喰う事に真剣になった。

    1. 死んだヒトがあっても申告するな!
    2. 妊婦が途中で流産しても届けるな!
    3. 飼い猫にも「タマ子」と名づけて届けろ!

絶対に1千万人の中に入ってたまるかっ!
 結局、東京での餓死者は150人。
神戸、大阪、京都、名古屋、横浜の5大都市で733人。
10分の1以下だべさ・・・。
みんな逞しかった。
何とか工夫して生き抜いて行った。
 中には、闇市に一切手を出さない御仁もいた。
旧制東京高校の「亀尾英四郎」先生。
東京地裁の「山口良忠」判事。
襟を正して、餓死していったそうだ。

  • ドイツ

 そー言えば・・・。
ドイツも同じ年の春に敗戦。
そして、きっと「ヒトラー」の自殺で無政府状態だったべ。
この後の復興の過程は日本と全然違う。
日本には政府が残っていた。
 何故か?
占領軍も考えた。
第一次世界大戦後のドイツの教訓がアタマに焼きついてた。
”手負いのサルをあんまり追い詰めちゃいけない。”
まして、テンパーなアジア人である。
マッカーサー」はフィクサーに徹する積りだったらしい。
 「日本の『官僚』は優秀だから、残すべー」
「え、そうっすか?いやあ、それほどでも〜、ふぇっふぇっふぇっ・・・」
そして木に登った官僚に占領政策を押し付けた。
おだてて、脅して、すかして・・・。
GHQは巧かったんだべな・・・。

  • 唯々諾々(イイダクダク)

 まさに、その言葉がぴったしだったらしい。
何でも言いなり。
「あんたの言うとおりっ!わたしの聞くとおりっ!」
”アメリカ人もびっくり”だったらしい。
従順を通り越して、すっかりアメリカに勘違いさせたらしい。
 手紙は全部検閲されたそうな。
予算の関係で、戦前の教科書を使う場合は墨塗り。
先生の指示で、軍事主義的な部分を生徒が塗りつぶしたとか。
 「復讐」がテーマの作品は全部禁止。
忠臣蔵」とかはとんでもない。
おとぎ話の「桃太郎」、「猿蟹合戦」も禁止だったとか。
最初はアメリカなりに反抗を警戒してたんだべな。
でも、まったくの”言いなり”だった。
 これで、アメリカは完全に勘違いした。
”何だ、アジア人はアメリカの言いなりじゃんか”
この”勘違い”は治らなかった。
その後の、「ベトナム戦争」でも懲りなかった。
湾岸戦争」「イラク侵攻」・・・。
クビを傾げながらも、やめられなくなっちゃった。
ある面、日本人の罪かも・・・。

  • 昭和20年

 敗戦から4ヶ月。
GHQの占領政策は「ダクダク」と進んでいった。
評価できる経済的改革もあった。
財閥解体」は効果があったかどうかわかんない。
財閥は今でもあるし、合併とかしてるし・・・。
「農地解放」と「労働改革」は良かったんだべ。
これが現在の日本経済の基礎を作ったかも・・・。
多分、外圧なしには出来なかったべ。
 「男女共学」も実現した。
GHQいわく、
「女性は平和をつくる」
以来、日本の女性は靴下とともに強くなったとか・・・。
 「ペニシリン」と「DDT」も入ってきた。
これは、ものすごいショックだったそうだ。
「リンゴの唄」が流れ、「宝くじ」も発売された。
新しいタバコの名前・デザインの公募なんかもあったそうだ。
1等は「ピース」だった・・・。
”ヤラセ”も含めて、懐柔策は進んでったんだべな。
殺伐としながらも、たくましく昭和20年が終わって行ったらしい。
続きは又・・・。