珍しくもない本の雑感59(4)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

  • 忘年会

 今日は、事業所の忘年会だった。
ところが、昼ごろからとんでもない暴風雨。
「バクダン低気圧」って言うらしい。
「フレンド前線」なんて、優雅なモンじゃなかった。
外に出た途端に、ずぶ濡れだべや。
 タクシーはなかなか来ない。
やっと来たタクシーはなかなか進まない。
メンツがなかなか集まらないで、30分以上待った。
何で、よりによってこんな日に・・・。
って言われる幹事も気の毒だべや。
 会場は「Oん野菜」っという、しゃぶしゃぶの店。
どうやらチェーン店らしい。
でも、びっくりした。
センスも、料理も、スタッフの好感度も一流。
んで、お値段は格安。
感心させられた。

  • 降伏

 ってな訳で、【昭和史】は続く・・・。
9月2日に降伏調印式があったそうな。
これで正式に戦争は終結した。
さすがの「火事場泥棒」のソ連も、これ以上は盗めなかったらしい。
でも、日本は何も言えなかったべな。
「押し掛け強盗」日本と何が違うかって言われちゃう・・・。
 調印式は、戦艦「ミズーリ」艦上で行われた。
マッカーサー」の演説はふるってたそうな。

「・・・地球上の大多数の国民を代表して集まったわれらは、不信と悪意と憎悪の精神を懐いて会合したのではない。
・・・過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界が、また人間の威厳とその抱懐する希望のために捧げられるよりよき世界が、自由と寛容と正義のもとに生まれ出でんことを。それは私が熱望するところであり、また全人類の願いである」

”あれはタダモノではありません”
天皇への報告にも残っているそうな。

  • 占領政策

 「マッカーサー」の政策は巧かった。
9月11日に主要戦犯容疑者39人逮捕。
これは「ポツダム宣言」に明示されてた。
9月22日に”軍国主義的・超国家主義的教育の禁止”
これで、のちに”黒塗り”がはじまる。
9月21日、”検閲制度の廃止”
どんどん指令が出たそうだ。
 10月11日には「5大改革」が打ち出された。

    1. 婦人解放
    2. 労働者団結権 ― 労組の結成奨励
    3. 教育の民主化
    4. 秘密審問司法制度撤廃 ― 特高など警察制度の撤廃
    5. 経済機構民主化 ― 三井、三菱、住友、安田 他財閥の解体

 戦後61年。
この時の政策はいまだに活きてる。
社会構造は何一つ変わってないべ。
なのに、唐突に”憲法改正”、”教育基本法改正”はね〜べや。

  • 辱(ハズカシメ)

 9月11日、主要戦犯逮捕命令が出た。
この日、最高責任者「東条英機」が自決未遂したそうな。
自殺をしくじった。
元、総理大臣で、陸軍大臣で、参謀総長

「生きて虜囚(リョシュウ)の辱(ハズカシメ)を受けず」

有名な「戦陣訓(センジンクン)を発令した。
 日本中がガッカリしたらしい。
タダでさえ、敗戦で元気がないのに・・・。
この醜態は日本国中を心底落ち込ませたそうだ。
 そして大多数のヒトが思った。
太平洋戦争をリードした最高責任者だべや。
何故、御詔勅の時に自決しなかった!
何を今さら・・・。
しかも、取り乱して死にそこなっただとお〜っ?
恥さらしにもほどがある・・・。

  • 会談記録

 「天皇マッカーサー会談」が始まった。
この内容については、いろんな説が飛び交う。
天皇の戦争責任についても諸説あるらしい。
でも、著者は幾つかの史料に基づいて集約していた。
 天皇は「マッカーサー」に言ったらしい。

「You may hang me」

 「へ・・・?」
「戦争責任は私にある。私を絞首刑にしてもかまわない」
「う〜ん・・・」
「しかし、望んだ事ではなかったし、何とか回避しようとはした」
 「マッカーサー」は感動したらしい。
マッカーサー」の回想録に書かれてるそうだ。
そして天皇に尊敬の念を抱いてしまったとか。
これは占領政策に少なからず影響したべな・・・。
 歴史的を見れば、戦争に負けた国の元首は潔くない。
たいてい亡命するか、命乞いするもんだべ。
あとは開き直って自分に責任はない、っと言い張る・・・。
そんな元首像とはかけ離れてるべや。
大トロ大好きキムピョンとはちょと違うかも・・・。
続きは又・・・。