珍しくもない本の雑感59(3)

 【昭和史ー戦後篇 1945−1989】

  • クリスマス

 こんなクリスマスは初めてだなあ・・・。
何の感慨もない。
気分的にモノトーンだべや。
元々、別に信心深い訳じゃないんだけど・・・。
お祈りの日か・・・。
 今年はお向かいの教会も様子が違ってた。
何故か、クリスマスツリーを飾らなかった。
昨日のイブもじみ〜っだった。
いつもなら、12月になると巨大なクリスマスツリーが登場してた。
庭のヒマラヤスギに見事なイルミネーションだったのに・・・。
借景が素晴しかった。
今年は何とも寂しいモンである。
 新しい”シンプソン”に代わってからいろいろ変化がある。
何か信者さんたちの間で不協和音があったんだべか・・・?
それとも、「お坊ちゃま」のことを知って、自重した・・・?
あり得ないべな・・・。

  • 敗戦

 気を取り直して、【昭和史】の続きである。
昭和20年8月15日。
この年、著者は15歳だったとか。
ってえ事は、三島のば〜ばと同い年じゃんか。
やっぱ、玉音放送を聴いてた。
でも最初、天皇詔勅は何を言ってるのかわかんなかったそうだ。
 その内、降伏した事がわかった。
”あべっ”
アメリカ軍が上陸したら、南の島で一生奴隷だっ!
今のうちに何でもやっちゃうべっ!
ってんで、防空壕に行ってタバコを吸ったとか・・・。
 8月17日に武装解除命令。
日本軍はあっさりしてた。
225万人の陸軍、125万人の海軍が残ってた。
それが一斉にスパッとテッポを置いた。
イラクなんかとは全然違う。
「鬼畜米英」のほぼ言いなりだったらしい。
やっぱ、ホントは戦争なんかしたくなかったんだべさ。

  • ”敏”

 「この、非国民っ!」
「戦地の兵隊さんに申し訳ないと思わんかあっ!」
んな〜んて言ってたヒトほど変わり身は早かったらしい。
「これからはアメリカの時代だぜっ」
「やっぱ、民主主義だ・・・」
”機を見て敏”は今でもヒトによっては誉め言葉。
きっと、日本人の特性だんべな。
 8月18日に「特殊慰安施設協会」発足。
この頃から”ナントカ協会”ってのが好きだったんだ・・・。
手回しよく進駐軍のために「特殊慰安施設」を用意したそうな。
何と、敗戦の3日後に「慰安婦募集」を出した。
8月27日には大森で開業。
この時には1,360人の慰安婦が揃っていたとか・・・。
 この話は読んでて情けなかった。
何なんだ、この発想は?
裏を返すと、すっごく心配したんだべな?
きっと、今まで日本軍がやってきた事をやられる・・・。
何とか「良家の子女」を守れ!
このハラの無さ・・・。
やっぱ、信用できないべや。

  • 総懺悔

 8月28日、アメリカ軍の先遣隊が厚木に到着。
その前に政府が”国民の心得”を布告したそうな。

進駐軍を迎える国民の心得】

    1. 連合軍との折衝は平和的になされているので、暴行略奪等はなきものと信ぜられるから、国民は平常通り安心して生活されたし。
    2. 進駐軍に対しては個人的接触は努めて避けること。
    3. 特に女子は日本婦人としての自覚をもって外国人に隙を見せてはならぬ。
    4. 婦女子はふしだらな服装、特に人前で胸をあらわにしたりすることは絶対禁物である。

(以下略)

 これも、日本軍の裏返しだんべな。
日本軍が中国大陸や東南アジアでやってきた暴行略奪。
これを想定しての布告だったんだべな。
 そして首相が記者会見した。
東久邇宮(ヒガシノクノミヤ)」首相の言葉は有名らしい。

「一億総懺悔」

 敗戦の理由は、確かに政府の政策がよくなかった。
同時に、国民の道義がすたれたからだ。
これが8月30日の新聞に載ったそうな。

政府と軍部とマスゴミが国を滅亡に導いたんじゃない。
お前も俺も悪かった。
みんなして悪かったんだから、お互いに責めるのはよそうじゃないか・・・。

 ”みんなで渡れば恐くないっ!”
「ナアナア」って言うか、「事なかれ主義」って言うか・・・。
今とまったく同じじゃん。
「一億総懺悔」
このヒトコトで、誰も反省しなくなっちゃった。
 「マッカーサー」はアジア人の特性を熟知してたらしい。
”普段は羊のように従順だが、怒らせると見境なくて危ない。”
父親がマニラの総督だったそうな。
フィリピン生活が長く、日本を旅したこともあったとか・・・。
テンパーな羊・・・。
言えてるなあ・・・。
続きは又・・・。