北京郊外観光のこと(2)【12/8】

 午後一番の観光は「明の十三陵」
比較的、最近世界遺産に登録されたんだと思う。
前回、来た時にはノーマークだった。
 いろいろ事情があるらしい。
「ニンさん」の解説は面白かった。
ガイドブックなんかじゃ追っつかない詳しさだった。
詳しすぎて、細かいこたあ忘れちまった。
でも、とにかく明の時代に皇帝は16人いたそうな。
6代目が7代目を殺したり、っとかいろいろあった。
 そいで13番目の月、じゃなくって墓が「定陵」
万暦帝」の墓が最後だったらしい。
これがえりゃあ立派で、地下宮殿もある。
副葬品もどっさりあって、博物館に展示されてる。
でも、13の墓の内、公開されてるのはここだけ。
あとは未発掘だとか・・・。

  • 試掘

 研究者たちは、国に発掘調査を申請した。
「すごい遺産でっせ。観光資源にもなりまっせ!」
「しゃーないなあ・・・。じゃ、一番新しいのから掘ってみれ!」
これが「万暦帝」の墓だった。
国はあくまで試掘のつもりで予算を出したらしい。
 研究者たちは喜び勇んで「定陵」を掘った。
立派な地下宮殿も見つけた。
沢山の副葬品も発掘した。
ところが、遺体の衣類などは朽ち果てていた。
必ずしも国の期待したほどの保存状態じゃなかったらしい。
 「もう、やめれ!もう掘っちゃダメっ!」
「そんな、ご無体な!お代え官様、お願げえでごぜえますだ!」
「ダメなモンはダメなのっ!」
こうして以後の発掘は中止されちゃった。
袖の下も通じなかったらしい。
国の言い分もある。
「掘らなきゃ、そのまま保存されるべや」
確かに・・・。

  • 偉業

 「ニンさん」の説明は詳しい。
かなり、マニアックな世界を堪能出来た。
明の6代目皇帝「英宗帝」に造詣が深いらしい。
大した皇帝ではなかったらしい。
話を聞いてると、むしろ小っちぇえ男だったらしい。
 これと言った業績もなく、どっちか言えば失政続き。
ヘンな家臣を登用したり、外部から攻め込まれたり・・・。
その挙句、弟が7代目に即位したけど殺しちゃった。
(諸説あるらしいけど、「ニンさん」は断言してた)
そして8代目皇帝として君臨した。
話を聞いてるとホンットにロクでもない。
 でも、奥さんには恵まれたらしい。
とことん尽くしてくれた奥さんだけは信じてた。
この当時は、皇帝が死ぬと道連れが沢山いたそうだ。
皇后、側室、家臣、使用人に至るまで全部で81人が道連れだった。
でも、「英宗帝」は奥さんを道連れにしたくなかった。
「そんな、不合理なことはやめるべ!」
埋められる81人はフィギアになったそうだ。
このロクでもない皇帝の唯一の偉業だと言っていた。
ふつーだべや・・・。

  • 「景山(チンシャン)」

 「紫禁城」の北側にある築山である。
紫禁城」の堀を掘った時の土で造られたそうだ。
ここから眺める「紫禁城」がいいらしい。
オレンジ色の”い〜ら〜かあの波と、くうもおの〜波い〜”
 ちょと期待してたあるね。
でも、「景山公園」に入ってすぐ右折。
ん?
目的地は園内にある「茶芸館」だった。
紫禁城」を一望出来る景色はオアズケ・・・。
 「茶芸館」ったって、土産物屋である。
個室に閉じ込めれて説明を聞かされる。
眼の前で、いろんなお茶を入れて試飲させるアレである。
「ウロン茶の新茶です。7回は飲めます」
やれやれ・・・。
キャンペーン・ツアーだしなあ・・・。
しょーがないか・・・。

  • 土産

 次々といろんなお茶を入れて飲ませてくれる。
「ウーロン茶」、「ジャスミン茶」、「ライチ茶」、「プーアール茶」・・・。
いつの間にか、周りを売り子が取り囲んでる。
みんな若い娘っこである。
これがおっさんだったら、犯罪紙一重だべな。
 「さ、好きなお茶を言て下さい」
「どれ?どれが良かたですか?」
ずっとシカトも大変である。
「ウーロン茶とか、飲まないからいらないよ」
「じゃ、お土産にいですよ。どれが好きですか?」
 確か、家に土産にもらった「ウーロン茶」がゴロゴロしてた・・・。
実家にも転がってたような気がする。
幾らなんでも、学習機能はついてるべや。
何だかんだ、日本人は緑茶だべさ。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、トイレぇ〜!」
脱出成功・・・。

  • 槐(エンジュ)

 チュコクのカイロ樹にはエンジュが多い。
そして、庭園にも多く植えられてる。
特に、目を引くのは「竜爪槐(リュウヅメエンジュ)」
枝先がぐにゃぐにゃ曲がって、おどろおどろしい。
日本では、ちょっと見かけない。
 「景山公園」にも立派な槐の老木があった。
この木は明朝最後の遺跡なんだとか・・・。
明の最後の皇帝「崇禎帝」がこの木で首をつったとか。
それで、おどろおどろしいんだべか?
 1644年、「李自成」が「紫禁城」に攻め入った。
「崇禎帝」はアワ喰った。
ガンガンと警鐘を乱打したけど、誰も駆けつけなかったそうな。
哀れ、「崇禎帝」は皇妃皇女を斬って、自決。
それもチュコクらしい・・・。