珍しくもない本の雑感55(9)

 【辺境・近境】

  • 大陸横断

 ”芸は身を助ける。”
ホンットに才能があるとトクである。
著者は”アメリカ大陸横断”も敢行してる。
雑誌に掲載する記事のためだった。
羨ましい限りだべさ・・・。
 著者も夢だったそうだ。
「何か目的があるのか?」
って訊かれても困る。

大西洋の波打ち際から太平洋の波打ち際まで、山を越え川を渡り、とにかくアメリカを一気に突っ切ってしまおうじゃないか・・・僕がの望んでいたのはただそれだけのことである。

だべな・・・。
 この時も同行者は「松村さん」
「こんな長旅に付き合ってくれるのは、彼くらいしかいない」
って失礼なこと言ってる。
きっと「松村さん」も同じだったんだべ。
これは理屈抜きでやってみたい・・・。

  • ビョーキ

 著者も認めている。
これは一種のビョーキである。
長い旅行に出掛ける行為には、狂気が・・・。
いや、狂気とまでは言わずとも、何か理不尽なものが潜んでいる。
 時間も、カネもかかる。
けっこう疲れるし、トラブルも多い。
いや、トラブルが無いこともたまにはある、っくらいだべ。
旅行ってえのはトラブルのショーケース。
言えてるなあ・・・。
 疲れて家に帰ってくる。
柔らかい馴染みのソファに腰をおろす。
そしてつぶやくんである。
「ああ〜、やっぱ家がいちばんだべや〜」
なのに、我々はついつい旅に出てしまう。
これをビョーキだと言っている。

地図というのは魅力的なものだ。そこにはまだ自分が行ったことのない地域が広がっている。穏やかに、無口に、しかし挑戦的に。聞き覚えのない地名が並んでいる。渡ったことのない大きな河が流れて、見たことのない高い山脈が連なっている。湖や入り江はどういうわけか、どれもすごくチャーミングなかたちをしている。ろくでもない砂漠でさえ、あらがいがたくロマンチックに見えてくる。

ベッドルームに世界地図を貼ってるウチは、やっぱビョーキか・・・。

  • 北回り

 何故か、有名な南回り「ルート66」じゃなかった。
渋い北回りで2週間の旅がスタート。
「インターステート(州間高速道路)」は味気ない。
ローカルな「バック・ハイウェイ」で行きたい。
ってな事だったらしい。
 クルマは「ボルボ850エステート」にしたそうだ。
何せ、8千kmである。
シートが良くないと腰がやられちゃう。
最初はアメ車のステーション・ワゴンも考えたらしい。
でも、現物を見てひるんだ。
こいつで縦列駐車することを考えるとゾッとしたそうだ。
 旅は退屈極まりなかったらしい。
毎日、非印象的な景色、非印象的なモーテル。
朝はパンケーキ、昼はハンバーガー、毎日500kmの移動。
変化がある時は、警官に止められる時だけ・・・。
しょっちゅう、麻薬のバイニンの疑いをかけられたそうだ。
日焼けした顔が「ヒスパニック系」に見えるらしい。
もう一度どうか?っと言われても考えちゃうそうだ。

  • 故郷

 最後の1編は「神戸まで歩く」
1人で西宮から神戸まで歩いた時の話である。
とにかく1度、歩いてみたかったそうだ。

故郷について書くのはとてもむずかしい。
傷を負った故郷について書くのは、もっとむずかしい。
それ以上言うべき言葉もない。

 著者は言う。
世の中には故郷にたえず引き戻される人もいる。
逆にそこには戻ることができないと感じ続ける人もいる。
著者は後者のグループに属してるらしい。
好むと好まざるとにかかわらず・・・。
 著者が歩いたのは97年5月。
この年、1月に「阪神・淡路大震災」が起きた。
3月には「地下鉄サリン事件」が起きた。
著者がアメリカで暮らしている間の出来事だった。
これは極めて象徴的な意味を持つ連鎖に思えた。
2つの出来事は別々なものじゃないと思ったそうな。
そして「アンダーグラウンド」という本が生まれた。
読んでみなきゃ・・・。

  • 「辺境」

 誰でもどこでにでも行ける時代になった。
今ではすでに「辺境」なんてモンがなくなってしまった。
冒険の質がすっかり変わった。
「探検」とか「秘境」とかって言葉が陳腐化してきた。
「旅行記」には受難の時代かも・・・。
 でも、旅行は大なり小なり旅行者に意識の変革を迫る。
いくぶんでも「非日常的」なんである。
日常から離れながらも、同時に日常に隣接してる・・・。
この本質はいつの時代も変わらないべ。
 著者いわく。

いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。

 旅好きにとっては、えりゃあ面白い1冊だった。
何度も読み直してしまった。