珍しくもない本の雑感55(7)

 【辺境・近境】

  • 「ねじまき鳥」

 才能があるってのはトクである。
94年に著者は「ノモンハン」に行った。
これぞ辺境だんべ。
雑誌社からの依頼だった。
元々行きたかったところである。
まさに渡りに船。
 「ノモンハン」は強烈な印象が残ってる。
「ねじまき鳥コロニクル」で著者は「ノモンハン」を描いた。
尋常な精神状態ではいられないような場面だった。
目を覆いたくなるような残虐な場面もあった。
 「ノモンハン」の悲劇は有名である。
ここで命を落とした日本兵は2万人・・・。
それもほとんど意味を持たない死に方だったという。
この国では、あんまり話題にならない。
ノモンハン」なんて聞いたことがないってヒトも多いんじゃないかな・・・。

  • 密閉性

 著者は恐怖を感じると言う。
敗戦後、日本人は戦争を憎んだ。
日本人は平和(であること)を愛するようになった。
ノモンハン事件」は闇に葬りたかった。
 著者の言葉を借りると「ノモンハン」の兵士をして、

彼らは、日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々は”アジア性”と呼ぶことができるかもしれない。

 戦後日本人はこの「効率の悪さ」を打破しようとした。

自分の内なるものとして非効率性の責任を追求するのではなく、それを外部からチカラずくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。

 我々は効率の良い世界に暮らすようになった。
効率の良さは社会に繁栄をもたらした。
にもかかわらず、きつい密閉性は続いている。
これは何時か、何処かで、激しく噴出すんじゃなかんべか。
同感だなあ・・・。

  • 中国

 著者は「ノモンハン」を2方向から訪れた。
写真の「松村さん」も一緒だった。
前半は「中国内モンゴル自治区」側から。
後半は「モンゴル国」側から。
ホントなら国境を越えればあっという間なのに・・・。
ややこしいらしい。
 著者はこの時、初めて中国に行ったそうだ。
それもちょっとびっくり。
あっちこっち遊び回ってたくせに、不思議である。
中国という国を初めて目にした感想は・・・。
人間の多さに仰天したそうな。

国が馬鹿みたいに広いくせに、人口もまたそれを埋め尽くすくらい多いのである。どこを向いてもほんとうに人間ばかりで、人間のいない情景というのがまったくない。どこからともなく、うようよと人が現われてくる。

 あ、おんなじだ・・・。

  • ”13億の無神経”

 クルマに乗って、又ひっくり返った。
言葉を失ってしまったそうな。
とってもじゃないけど、こんなとこでクルマを運転したくない。

道路状況は最悪に近く、車はみんな自分の走りたいように走るし、人はみんな自分の歩きたいように歩いている。
「どうして信号が街にほとんどないのか」と中国人に尋ねると、「そんなの無駄ですよ。信号なんてあったって誰も守らないから」という答えがきまって返ってくる。

 ぷぷっ、まったくおんなじじゃん・・・。
クルマに乗ったら、周りのクルマを見ない方がいい。
右足にチカラが入っちゃって、つりそうになる。
 街を歩く時もコツがいる。
周りを気遣って歩くのをやめること。
道を譲りながら歩いてると、道路から追い出されちゃう。
だんだん腹が立ってくる。
”13億の無神経”は脈々と続いてるんだ。

  • 列車事情

 「ハルピン」まで列車に乗った。
着いた早々、「ハルピン」で病院探し。
列車の中で目にゴミが入り、えりゃあ目に遭った。
著者は中国列車事情に疎かった・・・。

列車では進行方向に向かって窓際の席に座ってはいけないという鉄則を知らなかった。中国人は窓からあらゆるものを捨てるので、窓を開けて窓際に座っていると、思いもよらぬ災難にあうことがある。
ビール瓶やらミカンの皮やら鳥の骨やら痰やら手鼻やらいろんなものがひょっひょっと窓の外を飛び過ぎていくし、へたをするとそれで怪我をしたり、とても惨めな悲しい目にあったりすることになる。目にゴミが入ったくらいはまだいいほうなのかもしれない。

 確かにこれは列車の常識。
とにかく窓を開けるな!っと言われた。
何が飛び込んで来るかわかんない。
垂れ流しトイレから巻き上げられるヤツもあるとか・・・。
続きは又・・・。