珍しくもない本の雑感51(2)

  【風の歌を聴け

  • 帰省

この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。

 ストーリーはこの通り。
海辺の街に帰省した「僕」が友人たちと過ごした日々の話。
20代の夏の物憂げな雰囲気が良く出てる。
友人の「鼠」は他の作品にも出て来た気がする。

金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。

「鼠」はよく金持ちの悪口を言った。
「鼠」の家も相当な金持ちだったそうだけど・・・。
 「鼠」が訊いた。
「何故、本ばかり読む?」
「僕」が答える。
「フローベルがもう死んじまった人間だからさ」
「生きてる作家の本は読まない」
「生きてる作家になんてなんの価値もないよ」
なかなか戦闘的だべさ・・・。 

  • 軽快

 カバーにちょっとした解説が載ってる。
”青春の一片を軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。”
”軽快”ねえ・・・。
これを”軽快”で片付けていいモンかどうか・・・?

「先月離婚したのよ。離婚した女の人とこれまでに話したことある?」
「いいえ。でも神経痛の牛には会ったことがある」
「何処で?」
「大学の実験室でね。5人がかりで教室に押しこんだ」

「何を専攻してる?」
「生物学です」
「ほう・・・動物は好き?」
「ええ」
「どんなところが?」
「・・・笑わないところかな」

巧すぎる・・・。

  • 会話

 勝手な思い込みだけど・・・。
村上春樹」の真骨頂は会話って気がする。
すごいっ!
すご過ぎるっ!
会話の部分を作るのに、数ヶ月を費やしてんじゃないべか?
 帰省中に知り合った女の娘との会話。

「お母さんは?」
「何処かで生きてるわ。年賀状が来るもの」
「好きじゃないみたいだね」
「そうね」
「兄弟は?」
「双子の妹がいるの。それだけ」
「何処に居る?」
「3万光年くらい遠くよ」
 彼女はそう言ってしまうと神経質そうに笑い・・・
「家族の悪口なんて確かにあまりいいもんじゃないわね。気が滅入るわ」
「気にすることはないさ。誰だって何かを抱えてるんだよ」
「あなたもそう?」
「うん。いつもシェービング・クリームの缶を握りしめて泣くんだ」

 彼女から電話が来た。

「ビーフ・シチューは好き?」
「ああ」
「作ったんだけど、私1人じゃ食べ切るのに1週間はかかるわ。食べに来ない」
「悪くないな」
「オーケー、1時間で来て。もし遅れたら全部ゴミ箱に放り込んじゃうわよ。わかった?」
「ねえ・・・」
「待つのが嫌いなのよ。それだけ」

 彼女はそう言うと、僕が口を開くのも待たずに電話を切った。

「おいしかった?」
「とてもね」
 彼女は下唇を軽く噛んだ。
「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」
「さあね。癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる」
「忠告していいかしら?」
「どうぞ」
「なおさないと損するわよ」
「多分ね。でもね、ポンコツ車と同じなんだ。何処かを修理すると別のところが目立ってくる」

 耳が痛い話なんだけど・・・。
こういう言い方があったか・・・。

  • あとがき

 正確には(あとがきにかえて)とされている。
「ハートフィールド、再び・・・」
著者は、もし「ハートフィールド」に出会わなければ・・・。
ま、小説を書かなかったろう、っとまでは言わない。
でも、すっかり違った道になっただろうと言ってる。
 「ハートフィールド」は実に多くのモンを憎んだそうだ。
郵便局、ハイスクール、出版社、人参、女、犬・・・。
”ん?”
”犬だとお〜っ?”
好きなモンは3つしかなかったそうだ。
銃と猫と母親が焼いたクッキー。
そして1938年、母親が死んだ時、彼は飛び降りた。
 「ハートフィールド」の墓碑には「ニーチェ」の言葉が引用されてるとか。
彼の遺言だったそうな。

昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。

 一発、読んでみなきゃいかんなあ・・・。
天下の「村上春樹」である。
このヒトにこれだけ影響を与える作品って興味ある。
あんまりメジャーじゃなさそうだけど、探してみようかね。