珍しくもない本の雑感51

  • 藁半紙

 もう、死語かな・・・?
ガキの頃は「ワラバンシ」ってヤツがあった。
白くない紙だった。
最初っから、何となく黄ばんだ色だった。
これが陽に焼けるとまさにムギワラ色になる。
 いかにもムギワラみたいな粗いつくりだった。
ところどころに繊維みたいなモンがあった。
これに「ガリ版印刷」が定番だった。
ロウ紙にぶっとい針みたいなペンで原稿を書く。
まさにガリガリと・・・。
 そしてインクを塗って印刷する。
あの頃、先生がこれでプリントを作ってた。
テスト用紙もこれで作られた。
生徒も使えた。
学級新聞とか作ったりしたモンである。
わっかるかなあ〜?
わっかんないだろうなあ〜・・・。

  • 27年前

 そんな「ワラバンシ」状態の古本を買った。
村上春樹」の「風の歌を聴け
1979年5月と「あとがきにかえて・・・」に書いてあった。
27年前のせく品である。
まっ黄色でも不思議じゃない。
 これが「村上春樹」のデビュー作だそうだ。
著者30歳の作品はなかなかである。
青いと言えば青い。
でも、全体に緊迫感があふれてて心地いい。
若さゆえだべか・・・?
 最近の作品にない良さがあった。
カフカ」とかとは全然違う。
雰囲気がタイトで、ピリピリしてる。
最近の作品は何となくまったり感が漂ってる。
やっぱ環境かな・・・?

  • 文章

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

 著者がある作家から聞いた言葉だそうだ。
以後、8年間もの間、ジレンマを抱き続けたそうな。
何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われたとか。
でも、弁解じゃない。
これが現在の著者におけるベストだ、と言い切ってる。
 著者はあらゆるものから何かを学び取ろうとした。
様々な人間がやってきて語りかけた。
橋をわたるように音を立てて著者の上を通り過ぎた。
そして2度と戻ってはこなかった。
手痛い打撃を受け、同時に不思議な体験も出来た。
年輪を重ねたことを、こう表現出来るヒトも少ないべ・・・。
 文章を書くことは苦痛な作業だそうだ。
1ヶ月かかって1行も書けないこともあるらしい。
3日3晩書き続けた挙句、それが全部外してた事もあるとか。
でも、文章を書くことは楽しい。
生きることの困難さに比べて、意味づけが簡単だからだそうだ。

  • 「ハートフィールド」

 「デレク・ハートフィールド
文学老人でもないので、良く知らない。
アメリカ人だと思う。
何でも「ヘミングウェイ」なんかと同時代人らしい。
 「ハートフィールド」は不毛な作家だったという。
文章は読み辛い。
ストーリーは出鱈目。
テーマは稚拙だったという。
でも、彼は文章を武器として闘うことが出来る作家だったそうな。
戦闘的なスタイルの非凡な作家の1人だった。
 ただ、残念ながら闘う相手を明確に出来なかった。
不毛ってのはそーゆーこった、とか・・・。
8年2ヶ月の闘いのあと、彼は死んだそうだ。
エンパイア・ステートビル」の屋上から飛び降りたとか。
著者は彼から文章のほとんど全部を学んだ、っと言っている・・・。
何か、わかる気がする・・・。

  • お気に入り

 「ハートフィールド」の一番のお気に入りの小説。
それは「フランダースの犬」だったそうだ。
常々、言っていたらしい。

ねえ、君。絵のために犬が死ぬなんて信じられるかい?

 「ジャン・クリストフ」も気に入ってたそうだ。
何故か?
それは、1人の人間の誕生から死までを実に丹念に描いてあるから。
しかも順序どおりに、恐ろしく長く・・・。
情報の正確さは量に比例するからだという。
小説も情報であるという考えらしい。
 常々批判的だったのは「戦争と平和
量については申し分ない。
でも、そこには「宇宙の観念」が欠如しているとか・・・。
よくわかんない・・・。
 ある新聞記者が彼にインタビューしたそうな。

「あなたの本の主人公は何度も死んでるけど、矛盾してないですか?」
「君は宇宙空間で時がどんな風に流れているのか知っているのかい?」
「いや。でも、そんなことは誰にもわかりゃしませんよ」
「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?」

続きは又・・・。