珍しくもない本の雑感50(2)

  【ルネサンスの女たち】

  • 哀歌

 突然、16世紀初頭のロマーニャ地方の小唄が出てくる。
「カテリーナ・スフォルツァの哀歌」である。
それっくらい有名な女性だったらしい。
ジモティに抜群の人気だったそうな。
 「イタリアの女傑」と言われていた。
男になんぞ負けなかった。
チェーザレ・ボルジア」の軍勢にも立ち向かった。
フォルリ」の城に1ヶ月も立てこもって「チェーザレ軍」と戦った。
最後は捕われの身となるが、敵兵からも賞賛された。
 でも、「チェーザレ」だけは違っていたそうだ。
「カテリーナ」を自分の宿舎に連れ込んでしまったとか。
騎士道精神を重んずる仲間からも非難轟々だったらしい。
チェーザレ」にとっては、騎士道なんざ笑止の沙汰。
彼は欲しいモノは手に入れる。
それだけだったらしい。

  • 語り草

 「マキアヴェッリ」はじめ、歴史家たちの語り草になってる話があるとか。
ってゆ〜かあ、「カテリ草」か・・・?(^^)
フォルリ」で謀反が起きた時の話である。
陰謀者たちが夫の「リアーリオ伯爵」を暗殺した。
「カテリーナ」も一旦、子どもたちと共に捕われの身となった。
 が、巧く逃げて籠城した。
城の外で、陰謀者たちが脅迫を始めた。
「カテリーナ」の子どもたち剣を突きつけた。
そこで、「カテリーナ」が城壁の上に現れた。
そしてスカートの裾をまくって叫んだ。

「何たる馬鹿者よ。私はこれであと何人だって子どもぐらいつくれるのを知らないのか!」

 しばらく誰も口がきけなかったとか。
「カテリーナ」の度胸を示す、有名な話なんだそうだ。

  • 蛮行

 「カテリーナ」は3回、結婚してる。
最初の夫「ジローラモ・リアーリオ」は謀反で暗殺された。
その時に、例の有名な「カテリ草」が生まれた。
 犯人はもちろん残酷な方法で殺された。
でも、比較すればあっさりしたモンだったようだ。
どうやら「カテリーナ」はこの夫を好きじゃなかったらしい。
 次の夫「ジャコモ・フェオ」は若いツバメだった。
「カテリーナ」はぞっこんだったらしい。
隠密裏に結婚してたが、隠し切れず。
これ又、国を思う陰謀者たちに暗殺されちゃう。
 「カテリーナ」は怒った。
怒りに狂って残忍の限りを尽くしたらしい。
老人や子どもも構わず殺した。
陰謀者たちの家系の末端まで血を絶やしたという。
 さすがにジモティたちは震え上がったらしい。
それから500年。
今でも「フォルリ」の母親は、子どもを叱る時言うそうだ。
「カテリーナ伯爵夫人が来ますよ」

  • 毛並

 3回目の結婚はすごかった。
相手は「ジョヴァンニ・デ・メディチ
あの「フィレンツェ」の名家「メディチ」である。
「ミラノ・スフォルツァ家」と「フィレンツェメディチ家
イタリアでも、名家中の名家同士の縁だ。
 子どもは「黒隊のジョヴァンニ」っていうらしい。
やっぱ、有名人だった。
その子どもは「コシモ」
何か、聞いたことあるなあ・・・。
初代「トスカーナ大公」だったという。
 この子孫は世界中の王家に広がっていったそうだ。
フランスでは「アンリ4世」から「ルイ14世」「15世」「16世」・・・。
イギリスでは「チャールズ2世」まで・・・。
スペインでは「バルセロナ伯爵」となっている前国王まで・・・。
 その後、もっと何代も変わってるかも・・・。
何ってったって、33年前の作品である。
いずれにしても「毛並」ってそういう事なんだべな・・・。

  • 破門

 良く聞くコトバである。
ローマ法王から破門される・・・。
だから、どーした?
っとか思ってた。
でも、この作品を読んでその意味がわかった。
 一般小市民にはあんまり関係ない。
でも、皇帝、国王、貴族などの支配者はどうか?
これが大変らしい。
国民はキリスト教者として、支配者に服従する義務を持つ。
その支配者は神が認めた法王から認められなきゃダメ。
 神聖ローマ帝国皇帝の戴冠も法王の手による。
破門なんかされたら、国民がソッポ向く。
カトリック教会の強力な武器であり得たそうだ。
ただ、その後、皇帝派と法王派の長〜い闘争が始まる。

  • 偽善

 最後の1人「カテリーナ・コルネール」はちょっと毛色が違う。
ところは「ヴェネツィア
都市国家としては図抜けた国力があった。
フランスやスペインなど、他の大国とも渡り合ってた。
地中海貿易で栄えた「海の都」である。
 地中海の覇権を握っておくことは最優先だった。
そんな権謀術数の中で利用された女性。
それが「カテリーナ・コルネール」である。
「カテリーナ」は「キプロス王・ジャコモ」に嫁いだ。
知る限りでは「キプロス」はややこしい。
「カテリーナ」は何も知らず、振り回されるのである。
 最後に「七生おばさん」は言う。

見事な偽善である。しかも徹底した偽善である。「カテリーナ・コルネール」の一生は、この「ヴェネツィア」の偽善によって動かされ、そして彩られた。偽善は、それをしていることを自覚しない人間がやると、何の役にも立たないどころか、鼻もちならないその臭気が、人々を毒する。しかし、それをしていることを十分に承知している人間の行う偽善は、有効であるとともに、かつ芸術的に美しい。