珍しくもない本の雑感49(2)

 【サイレント・マイノリティ】

  • 31

 31篇のエッセイが載ってる。
それぞれのタイトルが又いい。
アテナイの少数派」「凡なる二将」「キプロスの無人街」
「オリエンタル・レストラン」「城下町と城中町」・・・。
何か、いかにも地中海っぽい。
 ネタはイタリア各地の資料である。
あっちこっちの古文書庫を巡って仕入れたネタも多い。
このパワーに頭が下がる。
もちろん言葉を知らなきゃ話になんない。
古代ギリシャ語も勉強したヒトである。
きっと、オチャノコなんだべな・・・。
 イタリアの懐の大きさにも感心する。
15世紀頃の文書がちゃんと残ってるところがすごい。
しかも、それをオープンにしてる。
外国人にも公開してくれる。
イタリア、恐るべし・・・。

  • 誘拐

 「赤い旅団」の話もあった。
「ブリガーテ・ロッセ」ってルビが振ってある。
有名なテロリスト集団である。
何となく、聞いたことあるなあ・・・。
 1981年に有名な誘拐事件が起きたそうだ。
誘拐されたのは、NATO北イタリア方面幹部の米軍将校。
米国政府もペンタゴンもひっくり返った。
もちろんイタリア政府も慌てた。
警察の威信をかけた大捜索本部が設置された。
各国から援助の申し出があったらしい。
さすがにメンツがある。
丁重にお断りしたらしい。
 事件の起きた「ヴェローナ」は封鎖された。
陸の孤島状態にして、犯人を燻り出す作戦だったそうだ。
徹底的な隔離作戦が行われた。
麻薬中毒患者は困った。
ヤクが手に入らなくって、病院に駆け込んだそうだ。

  • 支持

 結局、事件は40日で解決した。
これは当時、すごい事だったらしい。
日本でも大々的に報道されたそうだ。
ってえ事は解決出来んかった事件が如何に多いか・・・。
 見事に解決出来た要因は、ただ1つ。
それは、初めてイタリア警察が国民の支持を得られた事だそうだ。
それまでも要人の誘拐や殺人はザラにあった。
でも、多くの国民は「赤い旅団」の方を支持してた。
腐敗しきった政治家や大資本家は国民から恨みを買っていた。
 ところが、テロリストは支持されると困っちゃう。
騒ぎにならないとテロってる意味がないべや。
ってんで、作戦を変更した。
努力で地位を築いた経営者や、カタギの著名人を狙った。
これでやっと、国民の憎悪を買うことが出来た。
目的達成である。
でも、そのお陰で米軍将校は助かった・・・。
イタリア、恐るべし・・・。

  • 養豚場

 1970年頃のイタリアは「モデナ」
著者は最初の作品を書く為にここで子文書庫に通っていた。
子文書庫に通うたびに、中央広場を横切った。
この中広場で、毎週月曜日に市が立った。
「モデナ」は「フェラーリ」や「マセラッティ」で有名だべさ。
でも、同じっくらいブタも有名なだとか・・・。
 市場に集まる農民の中に1人だけ毛色の変わったヒトを見つけたそうだ。
70がらみのいい男で、周りの農民とちょっと雰囲気が違う。
背が高く、がっしりして、背筋がきちんと伸びていた。
著者は”いい男”を見る眼がやたらに肥えてる。
そのメガネにかなったって事はよっぽどなんだべ・・・。
 友人からそのヒトの正体を教わった。
伯爵「ディーノ・グランディ」というヒトだった。
外務省の年金をもらいながら、養豚業をしているとか・・・。
やっぱ、なかなかの経歴の持ち主だった。

  • クーデター

 何となく雰囲気が違う訳である。
このオトコは「ムッソリーニ」の腹心の1人だった。
英国駐在大使を務めていた。
貴族で学歴も高く、無学な「ムッソリーニ」に数々のアドバイスをした。
英国駐在の時は”英国人”を教え込もうとしたらしい。
 著者は「グランディ」の手紙を掘り出して来て紹介してた。
相変わらずの取材力である。
”1日5回食事をし、盛装してお茶を飲む奇妙で不可解な民族・・・”
英国人は、こう評されている。
ま、当たらずとも・・・。
 第二次世界大戦が勃発して、彼はイタリアに戻った。
日・独・伊三国同盟が成立し、イタリアは英国に宣戦布告。
「グランディ」の努力は水の泡・・・。
”っざあけやがって・・・。”
 「グランディ」はキレた。
1943年7月に「ムッソリーニ」解任のクーデターを起こした。
そしてクーデターは成功したけど、ドイツが「ムッソリーニ」を助けた。
イタリアはドイツの支配下に置かれた。
ムッソリーニ」解任派は処刑されたが、「グランディ」は逃げた。
リスボンからブラジルに逃げたらしい。
そして、ほどなく「モデナ」でブタを飼っている。
イタリア、恐るべし・・・。
続きはまた・・・。