スウェーデンの夜明けのこと【8/8】

  • 朝焼け

 さすがに身体が軽い。
21:00前から寝てりゃ、当ったり前か・・・。
もう寝られない。
船内の散歩に出掛けた。
 雲が低かったので、朝焼けはイマイチだった。
でも、日が高くなるに連れて景色がどんどん変わってゆく。
澄んだ光を浴びて、あらゆるモノが輝く。
船のデッキも、島々も、スウェーデンハウスも・・・。
何とも神々しいっくらいである。
 波はゼロである。
フィヨルドの特徴だそうだ。
海面は鏡のように平らで、島々の家を水面に映す。
この世の眺めとは思えない。
信じられないっくらいキレイだった。

  • 家並み

 「スウェーデンハウス」は本物だった。
北海道にいた時に、盛んに宣伝してた。
木製2重サッシをウリにしてた。
何ともいえないカラーリングで、北欧っぽさ満点だった。
”確かに北海道には似合うよなあ・・・。”
って思ってた。
 目の前にあるのは、本場の「スウェーデンハウス
まったくそのまんまだった。
北海道で見たヤツとまったく同じである。
木造でもがっしりした造りで、オモチャみたいなデザイン。
色もエンジっぽい赤や、クリーム色や、オレンジ・・・。
 ホンットに絵になる。
本場とおんなじだったんだ。
なかなか良心的な商売だったんだなあ・・・。

  • 免税店

 そう言えば忘れるところだった。
この船の中は、「TAX FREE」である。
フィンランドスウェーデンも課税出来ないらしい。
結構、ブランドショップや免税店が入ってる。
土産物を免税店で買っちゃおうと思ってた。
 開店時間は8:00からだった。
下船時間は9:30。
一応、ツアーメンバーは9:15に集合する事になってる。
それまでに片付けなきゃ・・・。
 朝メシの後、免税店に行って見た。
”やっ、安いっ!”
ケタはずれに安いっ!
とりあえずチョコレートだけ6ヶ買ってきた。
結構でかい。
しかも、350g×6箱=2.1kgである。
でも、ここで買わない手はない。
4ヶ国周った中でも、ダントツに安かった。
絶対にオススメである。

  • 朝メシ

 5:00っ頃からウロウロしてたら、腹が減った。
朝食会場の方に行ってみた。
やっぱ、同類項がいっぱいいた。
みんな、「ブッフェ・シリヤ」のドアの前にたむろってる。
 コリアや中華系だけじゃなかった。
白人系の毛唐もいる。
このヒトビトはホンットに腹が減ってるらしい。
鍵のかかったドアをガチャガチャやったりしてる。
 中のスタッフは涼しい顔。
悠然と準備をしている。
これが余計に飢えた毛唐のカンに触るらしい。
何かギャ〜ギャ〜わめいてる。
だんだん殺気だってきた。
その内、暴動でも起きるんじゃないべか・・・?

  • 怒涛

 ようやくドアが開いた。
7:00を2分っくらい過ぎたところである。
なかなかもったいぶって、ムードを盛り上げてくれる。
みんな、眼が血走ってる。
バウチャーを係員に押し付けてなだれ込んで行く。
ディズニーランド状態だべさ・・・。
 あまりの凄まじさに圧倒される。
やっと席についた頃には疲れてしまった。
あんなに腹が減ってたのに、忘れてしまった・・・。
 最初の怒涛の一撃が終わった。
少し余裕が見えてきたところで戦闘開始。
でも、所詮朝メシである。
そんなに大して喰える訳じゃない。
喰うモンもいつもと同じ。
ハム、チーズ、野菜のオープンサンドである。
たかがこれだけの食事するのに大変な労力だべさ。

  • 同席

 ふと見ると、「近Dさん」がウロウロしてる。
我がツアーメンバーで、唯一の1人連れの女性である。
混んでて、席が無いらしい。
我々が座っていたのは4人席。
「よろしかったら、ここにどうぞ・・・」
 「すみませ〜ん。有難うございま〜す」
何だか、鼻から空気が抜けたようなしゃべり方である。
「ヤ、我々はもう終わりますから・・・」
「ホントに混んでてねえ〜。助かります」
 っとは言ったものの、話し始めると簡単に席を立てない。
つい、四方山話のキッカケを振ってしまった。
「いつもお1人であちこち行かれるんですか?」
他意はなかった・・・。
でも、タイヘンなことになっちゃった・・・。

  • スキルス

 「実はね・・・」
「近Dさん」が問わず語りに話し出した。
「3年ほど前に主人を亡くしたの・・・」
おっと〜!
リアクションに困っちゃう。
 何でも、3年半前にご主人がスキルス性癌で亡くなった。
ちょっと調子が悪いってんで医者に行ったらソク入院。
診断から1ヶ月も持たなかったそうだ。
年齢は何と61歳。
それまで、まったく医者要らずの丈夫なご主人だったらしい。
 海外旅行が趣味だったらしい。
この時も海外旅行の予約中だったそうだ。
仲の良いご夫婦と一緒だったとか・・・。

  • 告知

 告知はしなかったそうだ。
でも、多分本人はわかっていただろうとの事。
混乱して、落ち込んで、家族で励ましあったそうだ。
全身転移で手がつけられない状態だったという。
 でも、そんなに苦しまなかったそうだ。
最後までモルヒネが効いててくれたらしい。
なかなか辛い話である。
 亡くなったあとも大変だった。
しばらく放心状態で何も出来なかったらしい。
立ち直るまでには相当な時間が必要だったという。
ようやくこうして1人で旅に出られるようになったそうだ。
 朝から重たい話である。
ついつい4ヶ月前を思い出してしまう。
嫁さんもおんなじらしい。
不覚にも思わず涙があふれてきちゃう・・・。
「いやあ〜、あんまり朝メシが美味くて感激しちゃったぜ!」