珍しくもない本の雑感48(3)
【朝の論語】
- 「言」と「行」
「言行一致」とか言う。
でも、「孔子」はどっちかと言えば「行」の方を重視してる。
子曰く、君子は言に訥(トツ)にして、行に敏ならんことを欲す。
ま、弁は立たなくとも、キビキビ動きたいそうだ。
どうも言葉というモンは危うい。
今日でもプロパガンダとか、PRとかいうのは危うい。
秦の「始皇帝」は、思想家・評論家等を憎んで徹底的に弾圧した。
その理由はわかんないでもない。
そういうモンが如何に世の中を誤るか・・・。
言葉が多いって事は、とかく煩わしく、軽薄になりやすい。
真実は沈黙を愛するモンだそうだ。
「老子」の有名な語もある。
これを知る者は言はず、これを言ふ者は知らず
なるへ・・・。
- 誤用Ⅰ
「論語」は有名である。
あまりに有名で、かつては引用したがるヒトが多かった。
「子曰く、・・・」って言うと、何かハクがつくみたいな・・・。
ところが誤用も多いそうだ。
事例を1つ・・・。
民は之を由らしむべし、之を知らしむべからず
これは東洋の封建的独裁専制思想である。
民衆というのは服従させて、ヘタに智恵をつけてはいかん・・・。
会社の組織云々でも聞いた事があるような・・・。
とんでもない誤用だという。
ホントは、民衆ってのはなかなか本当のことを理解出来ない。
だから理屈抜きで信じてもらえる、任せてもらえるヒトであれ。
っという政治家への戒めだそうだ。
確かに「孔子」がそんな事言う訳ゃないべ。
ちょっと考えりゃわかりそうな・・・。
でも、最近はモノを考えないからなあ・・・。
- 誤用Ⅱ
他にも事例が出ていた。
馬鹿殿
思わず、志村ケンが浮かんできちゃう。
でも、これも本来は名君のことを言うんだとか・・・。
大名は多くの家来を抱えてる。
家来も玉石混交である。
動物園状態だって考えられる。
そこに幕府のイジメがずしりとのしかかる。
こんな環境では、馬鹿になれる大物でなきゃ勤まらない。
これが「馬鹿殿様」と呼ばれるようになったそうな。
もう1つ。
糠味噌女房
これも、古臭い女房みたいに言われる。
確かに、そんな気がする。
ところが、これは気のきいた女房への礼讃だそうだ。
どんなご馳走も、最後はお茶漬けで〆る。
その時に気のきいた漬物を出せるような女房。
ちゃんと糠床を手入れしてある女房って意味だそうだ。
でも、最近は「論語」の引用ってめっきり聞かなくなった。
いよいよ絶滅危惧種だべか・・・?
ま、若い衆は読まないよなあ・・・。
でも、知らないヒトが増えた今こそチャンスだべや。
間違っても誰もわかんないし・・・。
- 「器」
子曰く、君子は器ならず
これも有名な語である。
えりゃあヒトは「器」じゃない?
じゃ、何だべ?
やっぱ、カネと人脈か・・・?
ちゃんと「器」と「道」の解説が載っていた。
「器」とは・・・?
ある目的利用の為にヒトが作った道具である。
うん・・・。
一定の型があり、限定がある。
うん、うん・・・。
「器ならず」ってえ事は、型にはまってないという意味だとか。
主体性・自律性・創造性を持っている・・・。
んなるへ・・・。
「道」とは・・・?
自分で変化自在にやって行くこと。
自己自身の中に律法を持つ、真の自由な創造活動。
これによって作り出されるものが「器」だそうだ・・・。
正確に言うと、「器」のカタチと大きさだべな。
「大器」もありゃ、「小器」もある。
「珍器」もあれば、「凡器」も「マッサージ器」もある・・・。
そりゃ、ないか・・・?
- 三疾
子曰く、古者民に三疾有り。今や或は是れ亡し。古の狂や肆(シ)なり。今の狂や蕩(トウ)のみ。古の矜(キョウ)や廉なり。今の矜や忿戻(フンレイ)のみ。古の愚や直なり。今の愚や詐(サ)のみ。
ちょっと長いけど、面白かったんで・・・。
昔は民に3つの疾(ヤマイ)があったが、今の世は亡くなったかも・・・。
3つの疾とは「狂」(理性が足りない)、「矜」(誇り・気取り)、「愚」である。
昔の「狂」は「肆(シ)」だった。
この字は「ほしいまま」と読むそうな。
自分の思い通り、カラスの勝手に振舞うことだそうだ。
でも、今の「狂」は「蕩(トウ)」である。
デタラメで、何もない。
ニンゲンが腐ってるとか・・・。
昔の「矜」は「廉」、つまり潔癖が誇りだった。
今の「矜」は「忿戻(フンレイ)」、つまり「怒れるつむじ曲がり」だそうだ。
やたらに怒ってりゃいいってモンじゃない。
昔の「愚」は「直」、真っ直ぐだった。
馬鹿正直だった。
でも、今の「愚」は「詐(サ)」、ウソばっかし・・・。
現代では「愚直」は誉め言葉だべさ・・・。
今も、昔も思うこたあ一緒だあね・・・。
続きは又・・・。